『ジュマンジ』(原題: Jumanji)を久しぶりに観た感想です。
初めて見たのはもう何年前か分からないくらいに昔ですが、やはり名作はいつまで経っても名作。これぞ不朽の名作です。子供の時の興奮が蘇ってきました。映画でしか味わえない驚きや喜びがこの時代にはあったなあと思い出します。
子供の時と少し違う観方をしていることに気付いたり、これまで知らなかった新たな発見があったりして、充実した時間を過ごせました。時折、過去の名作を見返すのは精神の安寧を促す意味でもアリですね。
たまには現実も未来も忘れて童心に帰って楽しみましょう。
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『ジュマンジ』とは?あらすじ
いじめられっ子のアランが、ある日ふとしたことから土の中に埋もれていた木箱を見つける。箱には”JUMANJI”という文字が刻まれ、中にはすごろくのゲームが収められていた。”JUMANJI” – ゲーム盤での出来事が現実にも起きてしまうこの世で最も危険なゲーム。そうとは知らず、帰宅したアランはガールフレンドのサラと早速ゲームを始めてしまう・・・。
引用:Amazon商品説明
ジュマンジは一見するとただの古めかしいボードゲーム。
しかし、さいころを振ると、出た目によってさまざまな“災難”が降りかかってくる。
しかも、それは盤上ではなく、現実の世界に発生してしまう。
上がらない限り、その“災難”は永久に残り続ける…。
本作は、同名の絵本を原作とする1995年公開の映画。
今から30年も前の作品とは思えない色褪せない面白さが詰まっています。
当時「子供心」というものの琴線にこれほどまでに的確に触れる映画は他にあまりありませんでした。
(子供向けかと思いきや、グロシーンやラブシーンが突如として挟まれるものが多かった気がします)
驚きと興奮と、ちょっとした怖さ。想像力が喜びにも恐怖にもつながる感覚。初めての時には食い入るように観ていましたね。
今では当たり前となった3DCGもこの時は最先端技術。
ライオンやサルが激しく動き回ったり、サイやゾウが街を破壊しながら闊歩したり、幼き自分は本当に起こっている出来事だと信じ込んでいました。
当然今となってはクオリティの低さは感じるものの、この時はフィクションが「想像力を喚起する触媒」であれば充分だったのです。
VODや配信サイトが影も形もなかった時代、DVDすらなくVHSが全盛だった時代、映画は科学の最先端を楽しめる娯楽の最高峰でした。映画でしか味わえない興奮あったことが懐かしいです。そのせいで映画を真似ようとして駄作化していくゲームが増えてしまった。
不朽の名作たる所以を感じた
妄想で遊んでいたあの時代
すごろくで遊んでいたら出た目の出来事が現実にも起こる。
これほど想像力を刺激するものはありません。少年が抱く妄想を見事に映像化しています。
例えば、当時好きだったゲーム、ドラクエはドットです。グラフィックは、ドットの主人公に、ドットのフィールド、ドットのモンスターだけ。
武器はどんなデザインなのか、どんな風に攻撃しているのか、呪文はどう唱えるのか、何も明確に描かれないので、すべてを想像で補っていました。
想像や妄想を働かせないと、到底楽しめなかったのです。
(それが楽しかったのですが)
本作が画期的なのは、少年たちのその妄想を3DCGで分かりやすく目に見えて表現させてしまったことでしょう。この時から徐々に妄想で遊ぶ必要性がなくなっていったのです。
現在では全部が視覚的に用意されているために、もしかすると「目に見えないもの」は存在しないものになってきているのかもしれません。人の心さえも…。
人を魅せるストーリー
ジュマンジというゲームがメインかと思いきや、本作はきちんと「人間」が描かれています。これがあってこそ名作です。
今回初めて気づいたのが、アランの父親と、大人アランを執拗に追ってくるハンターが同一役者だということ。
父と息子の絆が主体となる本作において、父親が明確に乗り越えるべき壁として役者レベルでも描かれていたとはさすがです。
現実では壁を乗り越えようともせず、仲違いしたままの親子は腐るほどいますからね。言うべきことは言わず余計なことばかり言い、親切心も優しさもお節介にしか感じなくなる。お互いが傲慢であることに慣れてくるとそうなります。
親および家族は「一番身近な他人」と言われるように、対人関係のチュートリアル。
チュートリアルを失敗してたら、当然その後の人間関係は上手くいきませんよね。
まあ現代人はもはや、「上手くいってないことにすら気づいていない状態」が常態化しているように見受けられますが…。
本作は、タイムパラドックスものとしても完成度が高く、上質なカタルシスを味わえます。
また26年前に戻るとは思いもよりませんよね。再度観た今でも、あの抱き合ったまま過去に戻るシーンは何とも言い難い高揚感を感じました。
そして、ラストの太鼓の音。ジュマンジを見つける子供。この引きも完璧です。
子供の時は「この後どうなるんだろう」と興奮して眠れなかったことを思い出します。
露骨に続編があると匂わせるための描写ではなく、その先を想像させるための表現。すべてを視覚的に具現化せずに余白を残す。子供ならではの楽しみを奪わない、映画を締めくくるに最高の演出です。
キルスティン・ダンスト
姉弟の姉・ジュディを演じるのは、キルスティン・ダンスト。
のちにサムライミ版『スパイダーマン』の「MJ」を演じた女優です。
海外の子役にありがちですが、確かにこの時すでに完成されてますよね。
一部ファンに、「この時が一番かわいかった」と言われるのも分からなくはありません。笑
私はスパイダーマンで初めてキルスティンを知った(認知した)ので思い入れとか何もありませんでしたが、
その後、2015年に彼女が主役を演じたドラマ『FARGO/ファーゴ』(シーズン2)はとてつもないインパクトがあったので、よく覚えています。
あのドラマで私は初めてキルスティン・ダンストに興味を持ちました。とにかく演技が上手すぎます。役者人生の集大成なのではないかというくらいに凄みあふれる演技でした。
本作『ジュマンジ』はキルスティン・ダンストの成長を愉しむ1作目としてもおすすめです。
順番的(プライムビデオにあるもの)には、『ジュマンジ』⇒『チアーズ!』⇒『スパイダーマン』3作⇒『FARGO』シーズン2の流れがベスト。
どんどん円熟味を増していく彼女の演技を堪能できますよ。
まとめ:想像力はいつの時代も大切
「想像力」と言うと、クリエイティブな方面ばかりを考えてしまいがちですが、日常のいついかなる場合も想像力は大切です。
想像力を失った時に人は同時に人間であることを辞めなければなりません。
そこに気付かず、想像力が著しく欠如しているのに、自分は人間なんだ人間であって当然と思い込むこと。
これがいわゆる“老害”の特徴です。
“老害”とは高齢者だけのことではありません。20代30代でも老害化している人間は大勢います。
つまりは、脳みそが老いて衰えていれば、誰しもが老害なのです。
そして、現代は誰もが老害になる危険性を孕んでいます。
AIに創造はできても、想像はできません。人類であることの証が想像力と言っても過言ではありません。
なぜなら、想像力は日常のありとあらゆる場面で必要となるからです。
最近、想像力、働かせていますか?
本作『ジュマンジ』を観て、童心に帰り、想像力を働かせてみるのも面白いですよ。
視聴はこちら⇒『ジュマンジ』(Amazonプライムビデオ)
以上、『ジュマンジ』の感想でした。
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