感想『ザ・ドア 交差する世界』~何一つ予想できない展開に圧倒され続けるSFサスペンス~

『ザ・ドア 交差する世界』感想評価レビュー

映画『ザ・ドア 交差する世界』を観たので感想をまとめます。

本作は、マッツ・ミケルセン主演のSFサスペンス映画。
ドラマ版『ハンニバル』で好きな俳優の一人となった彼目当てで視聴してみましたが、予想と想像、すべてを超えて楽しめました

名作です。

前情報は何一つ知らないほうがいいでしょう。いや、知るべきではありません。
マッツ・ミケルセンが主演ですよ、ということだけ知ったらすぐに観ることをおすすめします。

少しでも情報を入れるのはもったいないです。
非常にもったいないです。
絶対に今の何も知らないままの状態で観るべきだと断言します。

ということで、この感想もまったく読まないほうがいいでしょう(笑)
Amazonプライムビデオで観れるので、しかも100分ほどの映画なので、時間もお金もほとんどかかりませんしね。

おすすめです。
出会えたことに感謝したくなるレベルの映画でした。

視聴はこちら⇒『ザ・ドア 交差する世界』

スポンサーリンク

概要とあらすじ

娘を亡くし自暴自棄の男が自殺を試みたある日、不思議な扉を発見。それは娘を失ったあの日へと繋がっていた。彼は必死の思いで、扉の向こう側の娘を事故から救い出し安堵する。しかしそれも束の間、自分に襲いかかってきた人物ともみ合いになる。その相手はもう一人の自分だった…!

引用:Amazon商品紹介

本作は2009年のドイツ映画。
娘を事故で亡くした父親をマッツ・ミケルセンが演じます。

日本での知名度は全くないですが、ドイツ版アカデミー賞3部門にノミネートされた作品らしくクオリティが非常に高いです。
ロスト・ボディといい、英語圏ではない映画の名作率(自分の琴線に触れる率)が異様に高い気がします。

最初はマッツ・ミケルセンを見る映画かと思っていましたが、全くそんなことはありませんでした。

ただただ作品としてのクオリティが高いです。
これぞ映画だと言える作品になっています。
久々に出会えた名作。

無駄な部分がすべて削ぎ落とされ洗練された100分間に、感嘆せざるを得ませんでした。

以下に私の感想をまとめています。
重大なネタバレは極力していませんが、視聴前に読まないほうがいいでしょう。

というか、本当にただの感想なので、いつ読んでも何を言っているか分からないかもしれませんが。笑

視聴はこちら⇒『ザ・ドア 交差する世界』

『ザ・ドア 交差する世界』を観て感じたこと

何一つ予想できない展開

これからどうなるのか、オチはどうなるのか。
何一つとして予想できませんでした。
ここまで何も分からずただ観ることしかできなかった映画はおそらく初めて。

過去に戻って娘を救うというSFではよくあるタイムリープ的設定であるのにも関わらず、すべての展開がこれまで見たことのないシーンばかりで、既視感がまるでなかったです。

タイムパラドクスとかパラレルワールドとかありがちな面倒な要素はすべて排除され、ただ映画としての中身だけを純粋に味わうことができました。

展開が複雑でもなくややこしいでもなく、シンプルで一切矛盾がない。
登場人物たちの行動原理に納得がいかないシーンもない。
分からなくなる部分は何もない。

それでいてまったく予想不可能なんて、そんなのまさに予想不可能です。
伏線回収やトリックを前面に出すような映画ではないからとはいえ、ここまで何も分からないのは本当に恐れ入りました。

ネタバレ含む
最後の車に乗って強行突破しようとするシーンで、妻と子供を乗せていないことだけは予測できましたが笑

子供の直感と感性

未来から戻ってきたダヴィッド(マッツ)を自分の父親じゃないと嫌う娘・レオニー。
見た目も何もかも同じであるのに、なぜレオニーには分かったのでしょうか。

子供の言動は本能に根差したものであることが多いです。
社会の常識なるものが、いかにただの後付けに過ぎないかは子供を見るとよく分かります。

常識=正しい、ではないことを突き付けてくれるのが子供の態度。
例えば、農薬まみれの野菜、添加物まみれの食品、苦い薬、不快なマスク、性格の悪い人間…etc.

子供って嫌いな人間には近づきたがりませんよね。マスクを外したがりますよね。薬を嫌がりますよね。
子供の感性に従ったほうが健全な社会になると私は考えています。

その感性を上から押さえつけ捻じ曲げ壊し、この狂い腐った社会の常識によって洗脳することが大人たちの役割となってしまっているのは、疑いようのない事実。

夏のクソ暑い中、屋外にもかかわらず律儀にマスクを着ける気持ち悪さを筆頭に、日本人の奴隷根性は留まることを知りません。
考えなしにただ言われたことに従う。
それがどのような影響をもたらすかも考えずに他者に強制する。

その結果、ありとあらゆる不遇と不快な思いを子供たちに味わわせていることになっていても、気にも留めません。
むしろ、良いことをしているとさえ思っているようですしね。

10代の自殺者数過去最多を更新した2020年度。
昭和に比べ子供が激減しているのに、自殺率ではなく数を更新する。
これがどれだけヤバい事態なのか、危機感を持っている大人たちは果たしてどれくらいいるのでしょうか。
(ソース:https://www.tokyo-np.co.jp/article/136584)

子供の場合は、自殺者数ではなく被害者数と言うべきでしょう。

まだ汚されていない野性的な本能が拒絶する物事というのは、人にとって害悪である証明に他なりません。
父親が浮気して娘を亡くし落ちぶれ人を殺したことをはっきり分からずとも、レオニーの本能はその醜悪さを感じ取ったのでしょう。

ネタバレ含む
本作のラストで崩れてしまう「未来と過去をつなぐトンネル」は、汚れてしまった大人とまだ純粋な子供を隔絶するための壁をそのまま表しているように思えました。
結局元の鞘に収まるのも、ふさわしい末路だと言えます。
彼はどうあがいても娘を救ったヒーローにはなり得ないのですから。

自分を殺すのが自殺か、自分に殺されるのが自殺か

自分を殺した場合、罪に問われるのでしょうか?

自分は存在しているのだから、訴えられようがないのでは?
それとも、
自分は自分ではなく、殺された自分だけが本当の自分で、今この自分は偽物なのか?
他の人間からすれば整形して本人を装っている他人に過ぎないのか?

本作を観た私は考えました。

「自分に殺される自殺ではなく、自分を殺す自殺をしよう」

私が子供たちに言いたいのはこれです。
これまでの自分を殺し、新たな自分として生まれ変わろう。

自殺できるくらいの気概がある人間なら、この程度の世の中、ハッキリ言って余裕で生きていけます。
偉そうにしているだけの幼稚な大人のなんと多いことか。
どいつもこいつも実際は大したことありません。

雑魚がイキがっている現状を変えるには、君たちが必要です。

敵ではない大人、心から尊敬できる大人。
いや、大人でなく同級生でも当然OK。

そんな「この人は大丈夫だ」と心からそう思える人は身近にいるでしょうか?

身近にいなくてもいい。
過去の偉人でもいい。

信用に足る人物を見つけることは精神にとって大きなアドバンテージになります。生き方の指針になるはずです。

私自身、小学生の頃からいろんなフィクション作品に触れることによって、登場するキャラクターの強さに触れることによって、こんな世の中でも精神を保つことができていると思っています。

「変わりたいって思う気持ちは、自殺だよね」

と、とある小説のキャラクターは言います。その通りです。
自分に殺されるな。自分を殺して新しい自分になろう。

このイカれた世の中に腐った大人たちに屈する必要はどこにもありません。

娘を失うということ

娘(子供)を失った父親というのは、フィクション作品だけでなく、現実でも少なからずいます。

先に挙げた自殺をはじめ、事故や病気、事件に巻き込まれてなど原因は様々ですが、
フィクション作品の題材になることが多いのは、そこに大きな感情の振れ幅をもたらすことができ、人間ドラマとして少し高尚なものに仕立て上げられるからでしょう。

良質な物語のための一つの要素としてなら十分すぎるほどの設定。
しかし、実際にそんな状況になったらを考えてしまいます。

娘を亡くした父親に自分がなったときに、その感情を表現できるだろうか。
現実を受け入れるだろうか。

おそらく不可能ではないかと思います。それも想像さえしたくないほどに。
メンタルが病むとかいう次元ではないはずですし、何か言葉で励まされた程度でまた人生を歩み始められるとは思えません。

だから私は親にはなれないのでしょう。

自分の子供を失う可能性が0%でないかぎり、絶対に子供を産むべきではない。
そもそも自分の子供がこの世に存在しなければ、自分の子供を失うことは絶対にあり得ないのだから。

自分のメンタルが狂うだけでなく、
自分の子供が激痛の中、苦しみもがきのたうち回って死んでいたとしたら?

そんなものに折り合いが付けられる訳がありません。
その感情を表現する言葉はこの世に存在しません。

子供の苦痛が生まれた根本原因は、疑いようなく父親と母親にあります。
その事実(子供が激痛の中苦しんで死んだ事実)に正面切って向き合うことのできる人間は存在しないはずです。いや、してはなりません。

正直なところ、私は、
「なぜこんな社会に平気で子供を産める?」と思わざるを得ません。
何を考えているんだ?と問いたくなりますが、本人たちにそんなこと訊くことは当然しないです。

自分の幸福のために子供を出汁に使い、剰え死ぬほどの苦痛を味わわせる。
あまりにも業が深すぎるでしょう。

この考えをしているために社会不適合者と罵られるのなら、甘んじて受け入れます。
私はこんな社会に適合する気など毛頭ありません。

とはいえ、主流ではないとはいえ、出生率が著しく下がり、
いたるところでオワコン国家とかもう終わりだこの国とか言われていて、
そして、事実その通りであるこの現状において、

子供なんて産むべきではない
と考える人は少数派ではなくなっている気がします。

自分の将来や老後、世間体のために、子供を産むような人間に私はなるつもりはありません。
こう考える人たちが、この日本では増えてきていてもなんらおかしくはないです。

事実、知り合いにDINKsの夫婦がいますが、彼らもこの考えをしています。
結婚はしていても、子供を産む気はないそうです。
今後このような夫婦がどんどん増えていくだろうことは間違いありません。

道徳心というものが少しでもある人間なら自然とこの考えにたどり着くはず。
そうでなければ何も考えてないDQNと同義。人間のフリした人間モドキと言っても過言ではないです。

思慮深い人間の子供は生まれなくなり、
考えなしの阿呆の子供ばかりが増える。
そして彼らが社会の多数派になる未来…。

いや、すでにその状態になっているとも言えますね。
クズや阿呆の密度が世代を経るほどに高まっていくのは事実です。

その時、子供を産まない人たちが多数派になる近い将来。
フィクション作品においてさえ、父親としての葛藤や人間臭さが持て囃されることはなくなり、子どもなんか産まなければよかっただけじゃね?と嘲笑される未来が来た時、人類は新境地を迎えたと言えるのかもしれません。

子供を亡くした親は、フィクションにさえ登場しなくなる。
その未来は味気ないでしょうか?

いや、残念ながらそんな未来にはなりようがないです。
子を産まない選択をできる人が今この世代において多数派になったとしても、次の世代には何の影響も出ないですからね。
(その選択ができる人たちは死んでいなくなりますし、アメリカという国がある限りそんな未来はありえません)

むしろ、考えなしに子供を産む人間の遺伝子が濃くなるために、より悲惨な世界になっていくことは明らか。

皮肉なものですね。
命の大切さ・尊さを語るには、まず子供という被害者を生み出さねばならないとは。
ホント、イカれた矛盾だ。

被害者になりたくなければ、加害者になるしかない。
加害者にもなりたくなければ、死ぬか阿呆になるしかない。

そんな世界はもういい。見切りを付けました。
今生で終わりにすべきでしょう。

時間の可逆性について

暇があれば追記予定

感想まとめ:映画としての完成度

まだまだ日本で知名度のない(私が知らない)埋もれた名作はたくさんあると改めて感じました。

なぜ自分は幼少期からフィクション作品に触れたがるのか。

<良い映画>はそれをシンプルに説明してくれます。

映画鑑賞後にふわふわと不思議な気持ちに包まれる。
大人になってからはこの現象が起こりにくくなっています。
たいていの場合、その作品の良さ・好きなところを明確に言葉にできてしまうからでしょう。

しかし、本作『ザ・ドア 交差する世界』を鑑賞後は、自分の感情を言葉にできずにただ褒めることしかできませんでした。
この映画独特の雰囲気に圧倒されてしまったからなのは確かです。

いろんなフィクション作品に触れていると、驚きが少なくなりがち。
元ネタに気づいてしまうことやどっかで見たなあという過去作品との当てはめが無意識に脳内で起こってしまいますからね。

鑑賞中、何一つそのような当てはめ現象が起こらなかった本作。
本当に展開もオチも何も予想できなかったです。

これまで、セリフの妙とか映像美とか、役者の演技とか、伏線回収のすばらしさとか、自分の琴線に触れる要素は、はっきりしているかと思っていました。
だから、自分の趣味嗜好に近しいものに出会えると嬉しくなるし、名作だと断言していたのです。

ですが、本作は違いました。

どれが好き、どこが好きとか明確に理由が沸き起こることなく、名作だと断言する自分がいます。
また、理由が明確でないのに、確実に自分の琴線に触れていることは分かるという珍しい状態に陥っています。

ゆえに、鑑賞後にふわふわと不思議な気持ちに包まれたのでしょう。

2回3回と繰り返し観たくなるタイプの映画ではないですが、最初の1回が強く深く心に刻み込まれました。

1回目の自分の気持ちや感想を大切にしたいがために、
逆に2回目以降は観たくなくなるのかもしれません。

映画としての完成度が高いだけではなく、いろいろなことを考えさせられた『ザ・ドア 交差する世界』

余韻に浸れるのは、やはり名作の証です。


以上、『ザ・ドア 交差する世界』の感想でした。


視聴はこちら⇒『ザ・ドア 交差する世界』

コメント

スポンサーリンク
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました