『SILENT HILL f(サイレントヒルf)』を1周プレイ(アクション「難関」/謎解き「難関」)しましたので、感じたこと・思ったことを率直にレビューします。
日本が舞台となる待望のシリーズ新作サイレントヒルfですが、ビジュアル面では過去最高に美しいゲームだと感じた一方、アクション偏重になっていて自分の想定する(理想とする)サイレントヒルではないと失望せざるを得ない場面が多々ありました。
以下は、初見でアクション難易度を「難関」で始めてしまった人間のレビューです。
これからプレイする方は必ず、アクション難易度を「物語重視」で始めてください。でないと、紛うごとなき“死にゲー”をプレイさせられるはめになりますから。
プレイ時間:1周クリアまで9時間(リトライ含めると18時間)
プラットフォーム:PS5
※10/8追記
周回後の感想は目次の7.からです。ネタバレ注意。
本作への全般的な所感
「やはり危惧していた通りになったか…」というのが一番の感想です。
アクション重視のゲーム性にすることはこれまでにないシリーズの試みとして歓迎していたのですが、予想通り<女子高生を主人公にしてしまったこと>が大きくマイナス要素になっています。
『SILENT HILL:The Short Message』のレビューでも書いた通り、Z指定のゲームで「いじめ」や「家庭内不和」、「思春期の悩み」などをテーマにしたらダメなのです。基本的にプレイヤーは全員大人ですから、それらは興醒めしてしまう要素にしかなりません。10代の女子高生だから感情移入できないとか没入できないとかではなく「白ける」のです。
矮小な悩みに対し世界があまりにも仰々しく、主人公である雛子(ひなこ)の葛藤と世界観の構築に著しい乖離があります。展開も会話も未熟すぎるがゆえに「人間」が一切感じられません。観念的で意味不明な話に終始してしまっていて理解しがたいストーリーのため、クリアしても何の感慨も湧きませんでした。
アクションについては言わずもがなです。女子高生であるにもかかわらず、雛子は、重い鈍器を軽々振り回し、俊敏なステップ回避ができます。突如現れた怪物にも臆することなく、果敢に立ち向かっていきます。10代の精神の幼さ(メンタルの弱さ)と、好戦的な姿勢(身体能力の高さ)がまるで嚙み合っていないのです。この齟齬・違和感は全体の完成度に大きく影響しています。
サイレントヒルfにおいて女子高生が主人公であることのメリットは、ビジュアル面で目を引くことくらいしかありません。
アクションを重視したゲーム性に変えておきながら、ビジュアル面の「見え方」を優先したことにより、矛盾が生じて、サバイバルホラーとして非常に質の低い物になっています。
本作をプレイして私は“サバイバルホラーゲームの限界”を感じました。
アクションについて:紛うごとなき“死にゲー”
本作サイレントヒルfは、過去シリーズに比べてアクション重視のゲーム性になっています。機敏に動ける(ように見える)部分だけ見れば、アクション性に優れたホラーになったように思えますが、残念ながら、全く洗練されておらず、アクション的な楽しさや爽快感はまるで得られません。
ホラーゲーム特有の制限(シリーズ伝統のシステム)を踏襲してしまっているのが原因です。なぜアクションを押し出しておきながら、こんなゲーム性にしてしまったのでしょうか。理解に苦しみます。女子高生とは思えない動きをさせるのであれば、いっそのこと爽快なアクションができるホラーに振り切ったほうが絶対に良かったでしょう。
以下アクション面において気になったことを挙げていきます。
煩雑なゲージ管理
戦闘中に気にしないといけないゲージが、「精神力」「体力」「スタミナ」「武器の耐久度」の4つもあります。このせいで戦闘中に何度も左下に目をやることになって非常に面倒です。
精神力は、敵の攻撃を見切ったり武器固有の技を出したりするのに必要となりますが、使うほどに上限が減ります。回復させるには、食べ物(回復アイテム)を使うか、セーブ場所で祈るかしかありません。体力はそのままHPです。これがなくなると死にます。スタミナは、移動、回避、攻撃など、すべての行動で消費されるゲージで、一番管理が煩わしいです。戦闘中はすぐに尽きてその場で立ち尽くすことになる(動けなくなる)ので、敵の隙を見ながら攻撃の手を止めて、スタミナを回復させつつ戦うことになります。武器の耐久度は、最もいらない要素です。なくなると武器が壊れます。
これらに加え、当然ですが、敵の動きも注視しないといけません。こんなにもゲージ管理が煩雑な(面倒くさい)アクションに爽快感(楽しさ)がある訳がないでしょう。
特にひどいのがスタミナの仕様。あらゆるアクションで消費されるため、どの戦闘においても「待ち」状態が発生します。しかも、消費した分の回復が始まるまでが非常に遅いのです。スタミナは最優先で能力アップさせましたが、ボス戦ではそれでも足りないので結局、スタミナが一定時間消費されなくなるアイテムが必須となりました。
せめて、精神力がなければもう少しマシだったかもしれません。
<見切り>アクションの杜撰さ
敵の特定の攻撃にタイミング良く攻撃を合わせると「見切り反撃」が発生し、敵が無防備になりダメージを与えられます。敵の攻撃をタイミング良く回避すると「見切り回避」が発生し、スタミナを回復させつつ切り抜けられます。この2つの<見切り>アクションを成功させられるか否かが本作の戦闘のすべてです。
この要素を見るときちんとアクションできるように感じられますが、見切りアクション中にもダメージ判定があるという杜撰な設定です。
見切り反撃に成功しても、敵に囲まれていれば反撃する間もなく死にます。見切り回避に成功しても、連続攻撃の途中であった場合、そのまま攻撃を食らい続けて死にます。
しかも、見切り反撃のタイミングがどうあがいても無理なタイミングに用意されている敵も少なくありません。本作のアクションの醍醐味である見切りアクションを、ゲーム自体が潰してしまっています。
硬直の長さと頻度
硬直時間の長さと頻度の多さも気になりました。せっかくアクション寄りのゲーム性にしたのに爽快感がないのは、この硬直が最たる要因です。あらゆるアクション後に硬直があって動けなくなるだけでも不快なのに、ダメージリアクション中の硬直にも当たり判定があるため、一度攻撃を受けると何もできずに死ぬことが頻繁にありました。
複数の敵を相手にする時は特にこの硬直時間がネックです。途中から怪物を生み出し対複数戦を強制するモンスター(しかも超キモい)が登場しますが、遠くから毒液を吐いたり強制的に動きを止める咆哮をしたり、硬直時間を与える的確な攻撃でプレイヤーの邪魔をしてきます。1回だけでも面倒なのにこのモンスターとの戦闘は何度もあり、不快極まりありませんでした。イライラが半端なく積もります。
イライラすると言えば、天井から襲い掛かってくる敵。あれはイカれてました。あらかじめ発見できても、こちらから先制攻撃も何もできません。あと、掴み攻撃。予兆もなし仕掛けてくるうえに、掴まれたらダメージを食らうまで何もできません。QTEで反撃するくらいはできるべきでしょう。アクション重視にしておきながらこの部分への配慮が無いのは致命的です。
紛うごとなき“死にゲー”
ディレクターだかプロデューサーだか誰かが、本作を<ソウルライク>と言われることに憤慨していたようですが、いや、確かにソウルライクではないのかもしれないけれど、ほぼそれに近しい“死にゲー”になっています。
ボス戦が始まった直後の絵面はまさにそう。画面の種々のゲージ表記も相まって、もう既視感しかないんですよ。私の最も嫌いとするジャンル“死にゲー”の構図なんですよ、これは。
見た感じがそうであるだけならまだしも、スタミナ管理に腐心し続けないといけないのは、敵の動きを読んで把握しないとまともに戦えないのは、まさしく“死にゲー”以外の何物でもありません。
何度も繰り返させることを前提とするシステムで「ホラー」を堪能できると思いますか?
本作サイレントヒルfにおけるホラー感は最初の鉄パイプを拾った時点で消え失せました。
怪物に攻撃できるから怖くないのではないのです。隠れてやり過ごすとか、しゃがみ歩きで慎重に進むとか、石を投げて他におびき寄せるとか、真っ向から怪物に対峙する以外の選択肢がないから、ホラーゲーム的な恐怖(スリル)が全くないのです。初っ端から“ホラー”を放棄しているとしか思えないです。
本作は断じてホラーゲームではありません。制限だらけの窮屈なアクションを強いられる、グロテスクでショッキングなだけの“死にゲー”です。
サイレントヒルにこんなものは求めていません。
ストーリーについて:意味不明どころか…
脚本が竜騎士07なのは知っていましたが、まさかここまでそのまま『ひぐらしのなく頃に』だとは思いもしませんでした。本作のストーリーは雛見沢症候群を発症した人間の話そのものです。(もしかして、主人公の名前も雛見沢から取ってるのでは…)
本作では終始、雛子とプレイヤー(私)の温度差があり続けました。雛子の言動がとにかく痛々しいですし、一体、何を核として物語が展開されているのか分からないために、プレイヤーはずっと冷めた気分のままゲームを進めていくことになります。
声の演技が棒読みであるうえに、無駄な野暮ったいセリフばかりのせいもあり、雛子を筆頭に、本当に、誰が何について話しているのか、何をしようとしているのか最後まで意味不明でした。ただでさえ、思春期の悩みは観念的で矮小で、自己中心的で未熟なだけの妄想になりがちですが、案の定、危惧した通り、いや、想定を超えるひどいストーリー展開でした。とにかく「人間」が全くと言っていいほど描かれていないのです。
考察が必要な少し不思議で難解なストーリーなんかでは決してありません。単純に説明の足りないヘタクソな物語です。
周回前提だから2周目をプレイすればもう少し理解できる中身にはなるのかもしれませんが、だからと言って、最も重要な「1周目」を蔑ろにするのは愚か極まりありません。「周回すると真相が判明する」のではなく「周回しないと訳が分からん」のは、ゲームのシナリオとして失格です。(周回しても訳分からん場合はもう知らん!)
普通、脚本に合わせて映像を作っていくと思うんですけど、どこかの段階で誰か指摘しろよ、これ。
いくらビジュアル面で優れていようが、その優れたビジュアルで結局、この「稚拙な物語」を表現してしまっては無意味でしょう。せっかく美麗に表現されているのにもったいない。ビジュアルの無駄遣いと言う他ありません。
女はツラいよ?
思春期の葛藤や不安感をテーマとするのは百歩譲ってまあ良いとして、エンディングで「女のつらさ」を歌う曲が流れるのは論外にもほどがあるでしょう。
亭主関白な父が出てくるとは言え、メインテーマはそこではないだろ?当時、女はモノ扱いされて苦労したんですよだって?だからどうした?
それが物語と一体何の関係がある?主人公は、女子高生の雛子だろ?エンディングで流すほど重要なテーマが「不遇な女性」なのか?勘違い(本来の意味からかけ離れる意味での)フェミニストが作ったゲームなのか?(「f」がフェミニストのfだったらウケる…いや、ウケない)
不遇な扱いを受ける女性が日本においてピークだったのって60年代なんですか?日本の歴史上もっとも女性の立場や地位が低かったのって60年代ですか?
もしそうだとしたら、60年代設定にした意味が分かります。それで「不遇な女性」をメインテーマにしているのなら分かります。でも、違いますよね。(女性の参政権は戦後すぐ認められるし、雛子の姉が主人公だったらメインテーマと言える)
意味不明なんですよ。一体、何を核とした話なのか、訳が分からないんですよ。このゲームは一体何を表現したかったのでしょうか?
思春期特有の未熟さだけならまだしも、ゲーム自体も未熟じゃないですか。
あーあ、ホント、だから、こうなる気がしていたから、セーラー服着ているような女子高生を主人公にして、その内面をテーマにするなと散々言ってたのに……。
60年代に設定した理由が雰囲気のある昔ながらの村を表現するためだけだったら何の問題もなく普通に納得できたんですけどね。
幼馴染の修(しゅう)を主人公にして、サイレントヒル化した村で、雛子や友人を救い出すシンプルな話を核において、そこに思春期ならではの葛藤や恋愛事情を少し混ぜ込むだけのほうが絶対に良かったと思います。
余談。
雛子の父親は、典型的な田舎の亭主関白な頑固親父として登場しますが、「本物」はあんな丁寧な口調ではないし、声量も、暴れ方もあんなものではありません笑。茶碗を投げつけてくるくらいならまだマシ(物を投げるのはこの界隈では雑魚扱いされます笑。腕っぷしに自信がある親父は物なんか投げないんですよ。投げるとしても女相手だからという手加減の結果)。他人に対して腰が低い内弁慶な程度の親父だったら余裕で「攻略」できます笑。要は実力(暴力ではないよ)で黙らせればいいんですよ。すると「お、おう…」という反応になりますから。まあ、10代でそれに気づくのは難しいんですけどね。方言丸出しでわめき散らす日本刀を持って暴れまわるような「本物」の身内がいないだけ、抜け道(解決の糸口)はありますよ。はは…。笑
数多くの気になった細かい所
「美しいがゆえに、おぞましい。」というキャッチフレーズは、ビジュアル面では確かに見事に表現されています。本作のグラフィック表現は過去最高峰の美しさでしたし、グロテスクでありながら耽美さも感じました。
しかし、細かい所を言うと、美しい「が」ゆえに、ではなく、「美しい。ゆえに、おぞましい。」のほうがしっくりきます。「が」を入れてしまうと、そこに語意が集中し、美しいとおぞましいを分断させてしまう上に、美しいんだけども…という消極的な印象を抱かせますが、「が」を入れない場合、美しいから当然おぞましいよねというニュアンスになるからです。本作をより的確に表現するなら、「美しい。ゆえに、おぞましい。」にすべきだと思いました。まあ、これは好みの問題ですけどね。
好みではない細かい所を指摘するなら、「!?」の使い方。正しい順番は!が先で?が後です。本作では何度も?が先で!が後の気持ち悪い「?!」の表記がありました。ライターとして作家として、この細かい部分を気にせずに書いてしまっていること、そして、それを誰も指摘しないこと、これだけでレベルの低さが窺い知れます。どうりで物語の質が悪い訳です。
あと、これは「細かい」部分ではないですね…。サイレントヒル恒例の裏世界ですが、本作には裏世界へ変容していく町の演出が一切ありません。雛子が気を失った時だけ現れる別世界と言った感じで、60年代の田舎町と噛み合わない和風ファンタジーな世界です。裏世界へ変貌する演出こそサイレントヒルの本体と言っても過言ではないのに、それを忘れるとは呆れますよ。せっかく日本が舞台なのに残念です。
これも細かくありません。「サイレントヒル」というワードがシナリオでも文書でも全く見当たないのは非常に気になりました。そもそもサイレントヒルは地名です。遠く離れた日本(戎ヶ丘)との関連性は示されるべきではないでしょうか。本作がなぜサイレントヒルという名前を冠しているのかまるで解りません。この意味でも本作は「サイレントヒルではない」んですよ。
これもまた細かくない欠点。アイテムの種類の多さに比べ、アイテムの所持枠が少なすぎです。祠との往復をほぼ何度も強制させてしまうことに何の疑問も抱かなかったのでしょうか。プレイすれば誰もが気になることなのになぜ放置されているのでしょうか。途中から面倒になっていらないもの全部奉納するようにしていたら中盤以降のボス戦で詰みかけましたしね。絶望的に配慮の足りない意味不明な仕様です。
個人的にこれは細かくない点。アクション面でもビジュアル面でもシナリオ面でも、雛子が陸上部である設定が何も活かされていません。ダッシュできないのも動きがゆったりしているのもそうですが、特に最序盤の逃げるシーンでの走り方。陸上部では決してあり得ない腕の振り方をしています。あれは典型的な“女の子走り”です。おそらく本作は運動習慣のないメタボおっさんが作っているのでしょう。だから気づけない、気にならない。
それから気になったのは、雛子の息遣い。吐息交じりのセリフが多すぎて、割とマジでうるさいです。日本のどの作品にもありがちな「演技過多」を見ると非常に萎えます。敵に対する罵倒の言葉がバリエーション豊かなのは面白いんですけどね。ただし、強い言葉を使わせすぎ。弱く見えるぞ。「現代的な激しさ」が強調される直接的な言葉遣いは、60年代の日本にまだ残されていたであろう情緒や文学性の否定です。直情的な感情の発露には共感よりも嫌悪感が先立ちますし、作品を低俗で粗野で下品にしてしまっています。男尊女卑が横行する悪い所ばかりの時代だったか?そうではないでしょう。60年代を舞台としているのにリスペクトが足りないんですよ。否定するなら60年代よりも現代を否定するべき。
60年代へのリスペクトが足りないというか「日本」へのこだわりが全くありません。なんで日本を舞台にしたの?サイレントヒルfって日本人が本当に作ってる?と思う場面が多々あります。その代表が<平然と土足で家に上がる>こと。誰もそこに抵抗感を示しません。知り合いの家にも、まだ完全に廃墟化している訳でもないのに、ズカズカと踏み入っていきます。ここに本作のダメなところが凝縮されていると言ってもいいくらいです。細かい所まで気を配れない点が散見されすぎ。案の定、ビジュアル「だけ」アクション「だけ」話題になるようなこだわりのないゲームになってます。それはもう「ホラー」ではないんですよ。
まだあります。違和感があり引っ掛かったのが、雛子の幼馴染である修への人物評。手帳に「昭和の子供たちにありがちな、異性を冷やかしバカにする考えを持たない、珍しい人」と書かれていますが、雛子は平成か令和の人間なのでしょうか?昭和の人間が「昭和の~」などという表現は通常しないんですよ(例えば、「令和の」子供という表現を使う時は必ず、平成か昭和の子供を比較対象とする)。雛子が未来の人間であるか、明治や大正を知っている(比較対象となる時代や国を知っている)のなら別ですが。この表現が2周目以降で明かされる真相の伏線となっているのなら良いんですけど、そうでない場合、ホントに杜撰ですよ。
他にもまだまだあった気がしますが、もういいや…。
難易度について:初見は「物語重視」一択
冒頭でも書いてある通り、余計な苦労をしたくなければ、アクション難易度は「物語重視」を選んでください。
NEW GAME+で能力を引き継げますし、難易度を上げるのは能力を限界まで強化してからのほうが効率的です。どうせエンディング回収するなら周回必須ですしね。
私がなぜ「難関」で始めたのかと言うと、「物語重視」のほうの説明が、敵は弱く、アイテムは多くなります。と書いてある上に、さらに、精神力の上限が減りませんとかいうぬるい仕様になっていて、「難関」のほうの説明には、戦闘を程よく楽しみたいプレイヤー向けと書いてあったからです。これで難関を選ばないゲーマーがいるでしょうか。いや、いる訳がありません。説明に騙されました。
もう何度も書いてある通り、本作は“死にゲー”です。初見で「難関」は非常に疲れました。プレイ時間の半分以上が敵を倒せずにやり直した時間です。繰り返し死ぬとリトライ画面で難易度を下げられるようになりますが、途中で難易度下げる訳ないでしょう。
ラスボス戦はまあひどかったですね。もしかしてクリアできないんじゃねとか思いながらも何とか倒しました。とある回復アイテムが一定数以上なかったら間違いなく詰んでいたでしょう。“死にゲー”に慣れている人なら問題ないのかもしれませんけどね。
というか、NEW GAME+で周回できる前提なら、1周目はアクションも謎解きも「物語重視」しか選べないようにしておけばいいのにと強く思いました。
2周目は難易度を物語重視にして能力値を限界まで上げて、それでだいぶ楽になるのであれば、そしてかつ、非常に優秀な効果を持った御守りが今後手に入るのなら、最高難度の「五里霧中」にも挑戦しようと思いますが、そうではないなら、もう二度としたくありません。
個人的には、サイレントヒル2(リメイク)よりは楽しめたので、それで十分だということにしておきましょう。主人公の雛子自体は嫌いではありませんしね。
まとめ:見えた“サバイバルホラーゲームの限界”
日本が舞台でアクション寄りの内容になると聞いて、真っ先に思い浮かんだのが、SDKです。(SDKとは、SIRENの主人公である須田恭也のハンドルネーム)
SIRENであってサイレントヒルではないのですが、私はずっと思い描いていました。
SIRENのラストで、ヘッドホンで音楽を聴きながら、片手に日本刀、片手に宇理炎、体には手榴弾を身に付け、背中には猟銃を背負って現れるSDK。エンディングで観るだけでなく、その男を操作キャラとして屍人を屠りまくることのできるゲームを。
本作『SILENT HILL f(サイレントヒルf)』に欲しかったのは、それです。
散々苦しめられた敵に対して、圧倒的な火力を持って、薙ぎ倒し無双する。これほど爽快感を味わえることはありません。カタルシスに大いに浸れるでしょう。
昔の日本の村が舞台。不気味なモンスターが跋扈している。主人公は女子高生とは思えないほどの身体能力を持つ。ビジュアルやストーリーはひたすらに暗い鬱屈した雰囲気を放っている…。
であるならばですよ。これまで苦戦したキモイ怪物たちを軽々ぶっ殺していく展開は必須なんですよ。
ホラーであってホラーではないゲーム性にするのであれば、いや、どんなホラーであっても、ユーモアは必要です。(SIRENのラストはまさしくユーモアがないと思いつかない展開)
ましてやアクション重視にしたのであればなおさら。しかし、本作にはそんなユーモアあるような展開は全くありませんでした。
もしかしたら、他のエンディングで近しいものが見れるかもしれませんが、プレイできないと意味ないんですよね…。
終盤の雛子の意気込み的にはそれっぽいゲーム性になりかけますが、普通に殺されますからね。結局苦戦するんかい!とツッコまざるを得ませんでした。笑
何というか、ゲームとして当然の「プレイしないといけない」ことがおざなりになりすぎなんですよ。昨今の有名どころのホラーゲームは。
ビジュアルだけ優れるのであれば、動画サイトの配信(実況)を観るだけで別にいいや、と考える人間が増えるのは当たり前です。初見の「難関」の難しさを味わうことなく、「物語重視」でさらっと1周を終えてしまった場合、本作はおそらくゲームとしては何も残らないのではないでしょうか。実際このゲーム性であれば観るだけで充分かもしれません。
もし本作に優れたビジュアルがなかったら?を考えてみましょう。
そうすると、昨今あふれる2,000~3,000円のインディーホラーゲームと何ら変わりがないことに気付くはずです。ビジュアルで勝負できないインディーならではの工夫がないことを考えれば、むしろ、劣っています。
本作をプレイすることによって、“サバイバルホラーゲームの限界”が見えてしまいました。
ビジュアルがどれだけ美麗になろうと、ゲーム的には全く進化・進歩が見受けられません。いつまで煩雑で窮屈な操作性を強要しているのでしょうか。操作のしにくさが怖さにつながる時代なんてとっくに終わってますし、グラフィックがここまで写実的になった場合、ゲーム的な制限がより目に付くことになるのは必然です。
今後、サバイバルホラーゲームがどうなっていくのかを考えた場合、何もないんですよ。限界に到達してしまっている感があります。
しかし、ホラーの本質とは何か。それを分かっていれば必ず打破できます。他のレビューでもたまに触れますが、それは「思いやり」です。怖がってもらおうと真剣にプレイヤー(ゲームの場合)のことを考えて作る。それがホラーにおける本質、思いやりなのです。
見せたいものばかりが先行したビジュアルの質量を前面に出し押し付けるゲームには、それが全くありません。最近の日本の有名どころのホラーゲームは、残念ながら、すべてがそうなってしまっています。思いやりもユーモアもなくゲームとして面白くありません。
そのせいで、表面的な容易に目に見える部分だけしか評価できない、細かい所へ無頓着な、ホラーへの理解がない人間ばかりが群がることになる。そいつらプレイさえしていないですよ。なのに、そいつらに向けてゲームを作っちゃってるから、ファストファッション化してしまう。本来重視すべき核の部分が疎かになってしまう…。負のスパイラルです。
とにかく昨今のホラーには、本質を大切にすることにより湧き出でる<情緒>がありません。「人間」が皆死んでいます。だから非常に気持ちが悪い。
本作サイレントヒルfはサバイバルホラーの限界を見るためには、プレイする価値のあるゲームだと言えます。2のリメイクと違って、2周目もやる予定でいるくらいには楽しめたのは確かですから。気に食わない部分も多々ありますが、残りのエンディング次第では評価が多少は変わるかもしれませんし、もう少しやりこんでみようと思います。主人公・雛子のキャラクター、特に狂い具合に関しては気に入りましたしね。
(もう少しプレイしないと1万円分がもったいないのが一番の理由ですが…)
これからプレイする方は、「サイレントヒル」だと思ってプレイしなければ&初見で「難関」を選択しなければ、十分に楽しめるでしょう。
以上、『SILENT HILL f(サイレントヒルf)』のレビュー(感想と評価)でした。


『サイレントヒルf』を終えて(周回後の感想)
※追記 全エンディング到達後の感想(ネタバレ注意)
以下、ネタバレあり感想となります。未プレイの方は注意してください。また、4周(+UFOエンド)までプレイ済みでそれでもなお「面白かった。良いゲームだった。」で終わってる方は読まないほうがよいでしょう。いや、読まないでください。
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まず最初の感想。
「やっぱり結局、こうなったか…」
10代の女子高生を主人公にしてしまったことのデメリットは散々述べましたが、それに加えて、エンディングを4つ、真エンディングまで見終えても、情報量がさして増えていない、謎が放置されたまま、という周回をほぼ強制するシナリオで決してやってはいけないことを見事なまでにやらかしています。
周回が楽しかったならまだしも、アクションがつまらなすぎて、途中で断念しようかと思うほど苦痛でした。周回は「物語重視」でやっていたので全く難しくありませんでしたが、何より面白くない楽しくない、無駄に時間がかかる、さらに、2周目以降だからといって展開が大きく変わる訳でもない、という三重苦。
危惧していた通り、いやそれ以上にお粗末でした。
「周回しないと訳が分からん」よりひどい「周回しても訳が分からん」ゲームに本当になってしまうとは残念、通り越して呆れ果てます。
こうなるから、だから、10代の内面をテーマにしたらダメなんですよ。CERO:Cのゲームでこの内容(テーマ)だったら文句は言わなかったですけどね(もちろんCにするならグロさは減らすのは当たり前。あと、シナリオの質の話はまた別)。
周回させる意味無し
本作サイレントヒルfは要するに、1周で語るべきこと明らかにするべきことを4分割にしてプレイ時間を余計に水増しさせただけのゲームです。この程度の内容なら1周目で全部説明できたはずです。まともなシナリオ(ちゃんとした周回を前提とするゲーム)なら普通そうします。
2周目以降、儀式部分がまるまる削除されたり新規ムービーがどれなのか分かるようにしていたり、その配慮は分かります。でもそれって2周目を始めてみないと分からないんですよね。
1周クリア後にタイトル画面からエンディングリストを見て初めて「周回を前提としている」ことが分かる訳ですが、よし!2周目行くか!となる原動力が「1周目が意味不明すぎてこのままだともやもやしたまま気持ち悪いから仕方なくやる」でしかない。
配慮があったところで苦痛であるのは変わりがないし、根本的に仕組みを間違えています。
能力を引き継いでステージをいくつか省略して周回しやすいようにする。この配慮と、そもそものストーリー(ゲームの流れ)が噛み合っていないのが問題です。システム(シナリオ)は周回を前提としていても、ゲーム部分は周回を前提とした作りになっていないので、1周目の内容と2周目以降の内容を「すり替える」しかできません。途中ほんの一部の付け加えとエンディングが変化するだけにせざるを得ないのです。そうなると、周回することで重要な「同じシーンで見え方が変わる演出」もできません。
つまりこの作り方だと、2周目に行くと1周目が無かったことに、3周目をやると1周目2周目が無かったことに、真エンディング(4周目)では、1~3周分すべてが無かったことになります。
この意味が分かるでしょうか。
プレイヤーに周回させる意味が特になかったということです。ひどいことだとは思いませんか。ほんと何のために周回させたの?
これなら最後の選択肢次第で、エンディングが4つに分かれるようにしていたほうが明快で無駄もなく納得できました。というか絶対にそうすべきでした。その場合、ラスボス戦およびエンディングが4種類もあるゲームとして高評価していたはずです。
そしてこの場合にのみ「あなたの好きなエンディングが真エンディングです」というスタンス(建前)を活かせたでしょう。たとえ、物語が説明不足で杜撰であったとしても、考察や解釈の余地を残した、とギリギリ前向きに捉えられる範囲になっていたと言えます。
登場人物の心情的にも周回は無意味でした。後で触れますが、雛子の成長にフォーカスするなら1周目と4周目(真エンド)だけで充分なんですよ。さらに言えば、真エンドを見に行く意義は「親父の土下座」だけですし笑。なんじゃそりゃ。土下座だけなら1周目でやっとけ。
雛子は結局わがままのまま
10代を主人公にする場合、物語のテーマに「成長」は無くてはならないものになります。というより、主に精神的な成長を描きたいからこそ、10代を主人公にする訳です。その意図がないのに、10代ましてや女子高生を主人公にしていたらただのロリコンです。
本作サイレントヒルfにおいては、最後の最後まで雛子の独り善がりで終わりました。
むしろ、土下座して謝罪できた父親のほうが成長しているように見受けられます。言わば『寛太の成長物語』。
仲間の裏切り、多額の借金、諦めた夢、家族との不和、妻の病気、そして、それらを乗り越えての再起…。実にすばらしいと思いませんか。感動的です。「よっ!待ってました!寛太!日本一!」と言いたくなります。
雛子の成長が無いに等しいのは、周回システムを間違えているからです。
3周を乗り越えた先に4周目(真エンド)がある積み立て方式の物語であるなら成長は確実にあった(見受けられた)でしょうけれども、上に述べたように全部無かったことになるパラレルワールド方式(4周目で3周分をすべて内包した状態でストーリーが展開するのならまだしも)。『ひぐらし』もそうだったとは言え、梨花ちゃんのような観測者キャラがいないストーリーでそれをやっても意味ないんですよ。いや、そもそもなぜ『ひぐらし』を焼き増しした上に劣化させてるの?シリーズのゲームでそれやるなよ。許可するなよ。オリジナル作品でやれ。マップと黒板の「嘘だ」を見た時には怖気が走りましたよ。その意味ではホラーしてましたけどね!
周回する中で、雛子は「女扱いされることは嫌だ。でも、女であることは嫌いじゃない。いや、本当は女として見てほしい」という考えであることが判明します。
女であることと女扱いされることは(ほぼ)イコールです。女扱いされたくなければ、女をやめるしかありません。でも、それはしたくない。うん?意味不明ですよね。何言ってんだこいつ。
女であるメリットは享受したいけれどデメリットは一切受け入れません嫌です。それができないのは世間が時代が親が男が悪いんです。と主張しているように聞こえます。そのような人のことを一般的には「わがまま」と言うんですよ。自分だけは例外だとでも?
1960年代よりも昔の女性たちが実際に頑張ったから、なんとか60年代の状況まで漕ぎ着けられたのです。敗戦を経てようやく日本はそこに辿り着いたのです。問題があるとするならば日本においては、女性たちが協力して一致団結して、権利(たとえば参政権など)を勝ち取ったのではなく、敗戦による他国(アメリカ)からの介入でそれがほぼ自動的に与えられてしまったことでしょう。だから、本人たち(男含めて)に実感がない。省いてはならない段階・成功体験を無しにとりあえずゲットできてしまった。だから有効活用できない。若者の投票率が低いのも似たような理由だと思われます。いや、投票率だけでなく色々なものがそうです。深い思慮なしに他国を真似して導入しただけのシステムばかりだから今になって歪な不和が多数生じている。移民とかまさにそう。所詮、日本は80年経とうが敗戦国(戦後)なんですよ。そこからは逃れられません。それこそ徹底的に鎖国でもしなければ。
雛子は、先に父親に謝罪させたらダメだったのです。
この時点で雛子の成長は閉ざされました。しかもそのシーンの中心となる話題が「それを受け入れてあげるかどうか」とは、ひどくズレています。今後雛子は自分が悪くないと信じていることは絶対に謝らない(改めない)人間になるでしょう。それが悪い結果を引き起こしていても、他人に迷惑をかけていても、雛子以外の視点で見れば雛子にも落ち度があったとしても。「だって、自分は正しいんだもの。だって、あいつが悪いんだもの。だって、だって、だって…」
それに、周回していく中で判明するこれらは、すでに過去に起きたこと。
ということは、母親の弁明、父親の土下座(謝罪)を知っておきながら、ぶっ殺すわけです。(深水雛子だろうが「雛子」だろうが同一人物なのは間違いない。というか、深水雛子と雛子で人格分けるなよ。ややこしい面倒くさい)
同性の友達に嫌われ、幼なじみの修には気を遣わせ続け、しまいにはヤクを盛られ…。
周回して分かったことは、雛子が「そりゃ嫌われるわ」という人間であったことだけ。「強い言葉」通りの人間でした。
…仮にも主人公なのにひどい仕打ちですね。
気を遣っての考察やこじつけの解釈は無駄・無意味
雛子の精神的な問題や家族との不和、歪んだ友達関係が解決・解消して終わるならまだマシだったのですが、それすら放置・放棄されるとは思いもしませんでした。
周回前提と分かった時にそれらは当然に解決して、さらに、世界が広がるエンディング(未来が見える兆し(雛子もしくはシリーズの))があると思っていたんですけどね。周回してここまで中身(満足度)が増えなかったゲームは初めてかもしれません。
考察は、事実から分かることを推測・推察することであって、エンディング後どうなるのかを妄想することではありません。すばらしい物語のはずなんだ!みんな面白いと言っているし!そうでなくてはダメなんだ!と思っての、気を遣っての考察やこじつけの解釈は無駄・無意味です。
どうせ答えなんか何も考えられていません。考えているなら出し惜しみする必要(メリット)ありませんからね。(なにが考察してくださいだよ。ふざけるな。作り手側が考察を求めるなよ)
小説版が出るみたいですが、断言します。「どうせ何も補完されません!」上に書いてあるよう、考えてあるなら普通はゲームのシナリオに組み込みます。小説だけで明らかになる真相があったとしてもそれをゲームに入れないのは愚の骨頂だし、いずれにしてもアウトなんですけどね。
妄想で補強するなら誰だってできます。単なる情報不足・説明不足および物語の稚拙さを妄想で補うのは、考察でも解釈でもないんですよ。
ある程度ゲームの中で明言されないかぎりいくらそれっぽく見えても妄想・こじつけでしかないし、シナリオの杜撰さをプレイヤーの想像力で補わせようとしているかぎり稚拙と呼ぶ他ないのです。
考察や解釈をしてこじつけて妄想で補って、それでようやく成立する物語って、未完成品を売りつけているようなものですよ。
後から『解答編』を無料で配布しますとかしてくれるなら今風で面白かったのですが…。
バイオ8(ヴィレッジ)の時も思いましたが、近年、シナリオのレベルもそうですけどプレイヤーの精神年齢下がりすぎてますよね。
あー、それで喜べるんだ。へえ、あれで満足なんだ。という感じ。明らかに整合性が取れていない(シリーズ過去作品・類似作品と比べても劣っている)のになぜか賞賛されている違和感。
ラストオブアス2が批判されて、ヴィレッジやfは受け入れられていることの異常性に気付けているプレイヤーはどれくらいいるでしょうか。
ゲームで衝撃を受けたのは、ここ最近では(ノベルゲームは除いて考えると)ラストオブアス2が最後。他はどこかで見たような展開ばかり、ツッコミどころばかり。
良質な海外ドラマや映画、小説などに数多く触れてきている人なら、昨今のこの異常性に気付いているはず。昨今のゲームに「物足りなさ」および「空虚さ」を感じているはず。
テレビ番組がいわゆる偏差値40未満向けに作っているせいで面白くないつまらないとテレビ離れが起きているのに、ゲームでも下に合わせた内容にするのやめませんか。しかも大人向けの作品で。
これは他のレビューでも何度も言っていますが、「人間」および「魂」が感じられません。昨今は作品ではなく“商品”ばかりがあふれています。
もう何十年も続いているシリーズなら、相応のものを期待するのは当然です。ましてや今作は10年以上ぶりの完全新作ですよ。それが『ひぐらし』の焼き増し劣化版で終わって、満足できる訳がないでしょう。
漫画ワンピースのように、常に小学生を対象として描いている。大人になったら卒業して行ってください。と作者がそう言っているのなら、そういう作品だとして納得できます。(今のワンピースを小学生が理解できているのかは別にして)
週刊漫画は続きものだからそれでいいかもしれませんが、シリーズ最新作のゲームを10年ぶりに出すとしたら、普通、心待ちにしているファンを対象にするんですよ(少なくとも蔑ろにはしない)。生きていれば当然その分ファンは歳をとっています。まあだから女子高生主人公であることをずっと危惧していた訳ですが…。
子供向け(低年齢向け)にするのであれば、グロテスクでショッキングなシーンは無くしてください。ホラー以外の作品でやってください。幼稚なくせに過激、というのが何より気に食わないんですよ。間口を広げといて、キャラクターで釣っといて、実は中身は子供には決して見せたくない見るに堪えない悲惨な話です。あれ?この点においても、ひぐらしにそっくりではないですか笑。…はあ、芸がない。
『ひぐらしのなく頃に サイレントヒル編』なら満足できました。というか名前を借りるならそれを作ったほうが良かったと思います。サイレントヒルを主体とするのではなく、ひぐらしを主体にするべきでした。レナや圭一を主人公としたコラボ作品として出したほうが確実に楽しめたと思います。話題性的にも。「カケラ」という仕組み的にも。うん、確かに、このグラフィックの雛見沢を舞台に、鉈を持ったレナを動かして歩き回れるゲームはやってみたいですね。
ちなみに、『ひぐらしのなく頃に』は、粋プレイ済み、卒までBlu-rayですべて、漫画版もすべて所持しているくらいのファンです。だからこそ、残念だと言っています。
どう終われば理想だったか
修や凛子、咲子と仲直りする描写と、母親や父親、姉との家族団らんシーンは必須でした。
でないと、雛子の葛藤そのもの(およびプレイヤーの周回の労力)が無に帰します。いや、それがないから、無に帰し「た」のか。残念ですねホント。(無に帰していることに気付いていないプレイヤーが大勢いるのがまた…)
雛子が何を思い悩んでいたのか。ストレスを抱えていたのか。葛藤していたのか。このことへの「解」が無いのは論外です(結婚に関する云々は事実にすぎず解ではない)。結局、雛子の中で勝手に自己解決(ほぼ精神世界しか出てこないから必然的に…)しただけですからね。「選択の物語」と言うのなら、プレイヤーに選択させろ。それがハッピーエンドでなくても当然構わないんですけど、「葛藤する」意味への「答え」がないと、プレイヤーに選ばせないと、わざわざプレイするゲームである必要がありません。ましてや周回させる意味がありません。
(特に、修か寿幸かはプレイヤーに選ばせろ。もうどうせなら乙女ゲーに振り切れよ笑。どうあがいてもホラーじゃないんだし)
咲子を暗闇に閉じ込め殺しました。
凛子を溶岩に落として焼き殺しました。
修を首吊りさせて殺しました。
両親の頭を潰して殺しました。
最後は雛子2人になって誰もいない村を眺めて悦に浸っていますが、いやいや、お前が全員ぶっ殺したから静かなんだろ。真エンドでも結局殺したままって…。何もかも意味不明です(「ガス」で全滅していて死後の世界だったらなおのこと意味不明。雛子だけ死んでいたらさらに意味不明。九十九神も狐も村さえも全部雛子の妄想だったらもっともっと意味不明)。
だから、周回させるなら、周回を前提とするなら、<誰も殺さないで済む>ルートを用意しとかなきゃ。何やってんの?と言いたくなります。
そして、修だけでなく凛子や咲子とも協力してボスを倒すシーンがないと。10代を主人公にするなら、なおさらそのような協力して何かを成す描写は必要です。(『ひぐらし』はそうだったのに、なぜこの部分は踏襲しないのか)
あと、昭和を否定するのなら、今の時代がそれよりも優れているということを証明できないとダメです。それをストーリーに盛り込まないとナンセンスです。
昭和、平成、令和と経た現代だからこそ(プレイヤー視点)、未来を先取りした考えを持つ雛子だからこそ(実際は否定しているだけだから全然違うけど)、この「選択」ができた。そうして友達や村を救えた。それにより個人の考え(個性)を尊重する社会につながった。今、現代が昭和よりも生きやすくなっているのは時代の当たり前に抗った雛子のおかげなんですよ。そんなエンディングが理想でした。(まあ全く生きやすくなってないんですけど。あ、逆説的にパラドクス的にこのゲームのシナリオが良ければこの社会も良くなっていたかもですね笑。未来が変われば過去も変わる…)
というか、こういうエンディングにしてようやく、1960年代設定にした意味と、主人公が女であること(女の不遇さを出すこと)の価値が出てくるんですよ。ほんとにまったく…。
上の1周目のレビューでも書いていた「昭和の子供」という表現への違和感。これは昭和を痛烈に批判できるその時代には珍しい雛子独自のセンスが現れたがゆえ、という伏線だったら面白かったんですけどね。まさか本当に思春期の悩み程度の葛藤に終始するとは…。マジでつまんない。
注釈。
本作のレビューでよく使う“意味不明”は本当に分かっていない訳でなく、理解しようとする気も起きないという意味で使っています。意味不明ですね。
謎解きについて
そういえば、本作サイレントヒルfの「謎解き」には一切触れていませんでしたね。
はい、過去最低のクオリティだからです。「五里霧中」でも「物語重視」でも難しさに大差がなく、すべてが妄想で作られたかのようでした。
その妄想とは、答えが分かっている人間が陥りがちな倒錯状態のこと。答えを決めてから謎解き開始地点に“こじつける”作りをしているため、出題者の脳内だけで思考が完結してしまっています。これでは謎解きとは呼べません。
問題を作るには、逆算からの逆算が必要です。問題と答えを行き来できないといけない。
しかし今作の謎解きは、常に出題者からの一方通行で、解答者の思考ルートを把握しようともしていない傲慢さにより、謎もヒントも正常に機能していません。対象の謎解きが簡単か難しいかの判断もできていません。
だから、難易度を変えても違いが見当たらないのです。謎を解く“快感”が全く無いのです。謎解きに本作ならではの“独自性”や全編通しての“統一感(傾向)”が一切無いのです。
特に、絵馬とかかしの謎解きは、うーん、控えめに言っても、クソ。
どの謎解きも杜撰極まりなかったですが、中でも「五里霧中」の5番目のかかしの謎解き。あれは絶対に許しません。謎解きで一番やってはダメなこととして真っ先に除外したパターンが答えでしたからね。
サイレントヒルにインスパイアされた(影響を受けた)インディーゲームを君らプレイしてますか?
本作よりシナリオはもちろん、謎解きの完成度もはるかに高いですよ。本家の奴らがイキって胡坐かいている内に、グラフィック以外負けてますよ。
ひぐらしとかオマージュしてる場合じゃない。
ホラーを垂れ流す罪深さ
上記謎解きについてから分かるように、本作の謎解きの作りとシナリオの作りは非常によく似ています。まさに“一方通行”。
一方通行と言えば、本作の配信(実況)って制限はあるんでしょうか。
まさかとは思いますが、全編全エンディングを垂れ流している奴はいませんよね?
最初から最後まで全編無料で視聴できる状態にしている人間は例外なく漏れなくゴミです。
(もちろん公式から全編垂れ流せという指示、依頼を受けた場合は別。そんな依頼する訳ないけど)
ゲーム業界に貢献しているようでマイナスしか与えていないクズです。視野の狭い思考力のないカスです。
他のレビューでも言っていますが、至る所でこれは言い続けます。
なぜこれほどまでに「強い言葉」で言うのか。
特に本作のようなホラー作品の場合、グロテスクでショッキングなシーンを小中学生も容易に観れてしまうからです。
まだ出来上がっていない脳へのダメージがどれくらいか知ってますか?その影響力を考えたことがありますか?
ないでしょう。あるはずありません。だからそんな厚顔無恥な行ないが平然とできる。
(子供の目の前で夫婦喧嘩するだけでも脳は多大なダメージを負います。しかも脳の損傷は完治しません)
一方通行。
大人になったら子供の気持ちが分からなくなる。だからこのくらい大丈夫だろうと思って見せてしまう。これならまだマシでした(あくまでマシ)。
実際は、脳みそが子供のまま体だけ大きくなってしまっているので、そんな(子供の脳に傷を与えるかもしれないという)考え・発想に至らないだけ。
なんという恐ろしさ。おぞましさか。加害者という自覚がまるでないままに傷つけている。被害者が目の前にいない一方的な加害。
想像力の無さが常軌を逸しています。この無知の怖さはあらゆるホラーを超えています。無知がゆえに、おぞましい。
日本人はみんながやっていれば平気でそれをやります。おそらく殺人も強姦も罪に問われなければ気兼ねなくやるでしょう。ならばゲーム配信くらいなら余裕で真似しますよね。
この世にはどの集団でも時代でも分野でも必ず、「待った!」を掛けられる人間が必要です。
しかし馬鹿の割合があまりにも多すぎる場合、制御が不可能になります。間違っていても間違っていることに気付けないのでそのまま突き進みます。「待った!」と言える人間がいたとしても、“意味不明”な奴として無視されるか、最悪、殺されます。
現代、この令和の時代は、残念ながらそんな世の中になってしまっていることは疑いようがありません。その“完成度”は年々上がり続けています。
犯罪者でなければ善人か?人を殺してなければ良い人か?
そんな訳ないでしょう。
本作サイレントヒルfで雛子の父親を否定的に捉えている人がほとんどだと思いますが、似た者同士ですよ。ゲーム全編垂れ流してたら、それを観ていたら。むしろ、不特定多数に影響を与えていることを考えれば、雛子の父親なんかよりもはるかに悪質です。
狐面の男とか女子高生とか雛子のアクションとか、そんな表面上のものを話題にして釣ろうとしている奴らも同じです。ホラーをさも受け入れやすいものかのように偽るのは、未成年への“虐待”に等しいです。
ホラーは大衆に受け入れられたらダメなのです。そんなことも分からない奴が“ホラーゲーム好き”とか偽って騙って、全編を考えなしに垂れ流しているのは軽めに表現しても、狂っています。
善人面するなよ。絶対に。どちらかというと犯罪者寄り悪人寄りなんだよ、確実に、お前らは。
でもまあ、馬鹿に「お前は馬鹿だ」と言っても意味ないんですよね。なぜなら馬鹿だから。
しかし、それでも言い続けることを<啓蒙>と言うのでしょう。
昔の哲学者はそれで死刑になってたりしましたからね。今では当たり前のことを主張しただけで。馬鹿が多すぎるとヤバいとはそういうことです。現代の大衆は明らかにその前時代に“先祖返り”してしまっています。文明や科学が発展しているのに、と考えたら過去最高にヤバい時代です。どうりで「人間」が減っている訳だ…。
馬鹿ではないと言うのであれば、配信も視聴も今すぐにやめるべきです。ホラーゲームについてはそれで済む話です。
というか、気になってるなら買え。自分でプレイしろ。ホラーゲーム好きなら一人で黙々とやれ。
真のホラー好きは共感や賛同なんか求めねぇんだよ。
それが異常なものだという自覚(理性)がありますからね。(ゆえに「寂しがり」ではあるかもしれませんが…笑)
「f」とは結局何なのか
真エンドを見るに「女(female)」の物語でもないんですよね。本作は一体何がテーマだったんでしょうか?“意味不明”です。笑
一応考えてやると以下でしょうね。サイレントヒルfの「f」で考えられるのは、
female
feminist
father
family
friend
fox
flower
fantasy
fiction
f○ck!
さて、これにて本レビューを愚痴供養の折り紙とさせていただきます。見つけた人は全部声に出して読んでくださいね。笑
あ、1周時点のレビュー部分で、サイレントヒル2(リメイク)より楽しめたとか書いてますが、前言撤回します。fを周回したおかげで(この意味では周回の意義があったかな)、リメイク2のクオリティが「サイレントヒルとして」いかに高かったのかハッキリ分かりました。やり込んでプラチナ取りに行こうと思います。1作目のリメイクも楽しみですね(同じ会社のリメイクなら大丈夫なはず)。
今年は『Tormented Souls2』が本命だし別にもういいかな。fのことはさっさと忘れてしまうことにします。















コメント
思っていたことをはっきりきっぱりおっしゃっている方がいてとてもスッキリしました。ありがとうございました…。
コメントありがとうございます。スッキリしていただけたなら良かったです笑
鋭い論評で読み入りました。
「fはフェミニズムのf」というところは、私も2周目あたりで本当にそうかもしれないと思っていたので、同じ考えの方がいてよかったです。
1960年代を「女性が一番苦しかった時代」として描くのに適切かどうかですが、昭和初期生まれの雛子に「昭和って変な時代だな」と言わせるシナリオ側のセンス(および時代考証)のなさを前提に、「専業主婦」的な家父長制家族が比較的色濃い時代であることは言えそうです。
近代化以前の、特に農村部は男女共働きが基本で、現代もシングルファザー・マザーの存在や、手取り収入の減少により、共働きがほぼ必須なので、家長が収入の一切を担う代わりに(家でくすぶっている寛太が働いているかはともかく)絶対の権限を持つ家族は、大正期〜昭和中後期に主流化していたとされています。
雛子の異端性を際立たせる時代としては、ベストでなくともベターくらいではあります。
しかしご指摘の通り、雛子の自己決定を過剰に評価していくシナリオは、正直言って現代においてあまり肯定的なメッセージを汲み取れそうにありません。
決断を宙づりにしていても許されるほど、現代は余裕のある時代ではなく、「親ガチャ」という言葉が人口に膾炙するほど、「配られたカード」に苦しめられている人々にとって、「自分が選んだ選択だけが本当の幸せ」という主張は、悪趣味な皮肉にしか聞こえないでしょうね。
Kick the Can Crewの「アンバランス」ではありませんが、ライブイベントの話を「次の次のまたその次の次の日にでもまぁそのうち」として引き延ばすことが許され、「フリーター」が新しい自由な働き方として称揚された2000年代初頭なら、拍手喝采だったのではないでしょうか。
まぁ、あえて各エンディングを好意的に見れば、どれも手放しの幸福にはなっていないので、製作陣もそこまで考えている可能性もあるかもしれないですね。
「自分で選択したって、雛子はそんなに幸福になったと言えるのか?60年前より自由になった今を生きる我々は、本当に60年前の潤子よりも幸福になったと言えるのか?自分の生き方は自分で決めるべきという発想それ自体、相対化して考える段階なんじゃないのか?」と伝えているなら、このゲームを5周した甲斐があったと思うので、私はそう考えるようにしてます。
雛子に成長の契機がないというのもその通りで、寛太が「男性」としての役割から「降りて」弱音を吐露している一方、雛子の側は、主に凛子から向けられている批判にあるように、自らの加害性に対する反省が欠けている。
自己決定の結果として、周囲に甚大な被害が出ているのは一つのルートの帰結として、示唆されているものの(まさにトロフィーの名前の通り「後は野となれ山となれ」)、雛子自身が、自己決定のコインの裏面であるところの、他者への無責任を直視しないまま、全てのエンディングが揃ってしまいました。
他の登場人物は何かを失い、そしてそれに向き合って(良かれ足かれ)変わっていくにもかかわらず、雛子だけは、初発の自己を貫徹するだけで、なにも失わないというのが、物語に「成長」を感じられない核心的な要因なんでしょう(これが「コロコロコミック」や「ジャンプ」ならいいですが、CERO-Zのシナリオとしては片手落ち)。
代案として、雛子自身の暴力性の報いを受けるエンディングがあればよかったとも思いますが、その点ではSIREN2の名高い鬱エンドの焼き直しになってしまうところがあるので、難しかったのでしょうか。
何度もやり直したいシナリオがあるかどうか、というのが、名作か否かを分ける個人的な基準ですが、その意味では名作たり得なかったです。
ですが、シリーズ初体験の自分としては、10K出した甲斐はあった、少なくともDLCがあれば買いたいと思うほどには、良作ではあったと思います(10年以上新作を待ったファンの方は心中お察しします)。
長文失礼しました。
細かく読んでコメントしていただきありがとうございます。
1960年代がゲームに持ってくる時代として適切ではなかったのは間違いないでしょうね。
15年程度しか経っていないのに「戦争」の話題が一切出ないのもおかしな話です。
男が戦争に行っていたから、女は家に居た訳ですからね。到底その事実を抜きに「男女」について語れる時代ではないでしょうに。(3世代で住むのが当たり前の田舎で「祖父母(年寄り)」が全く出ないのもおかしい)
とにかく何もかも未熟なゲームでした。
確かに、追加DLCで完璧に補完されるのであれば再評価の余地はありそうですが。いや、「血と錆」が無い時点でサイレントヒルとして論外ですけどね…。
ぜひ他のタイトルをやってみてください。fがシリーズ初で良かったと思いますよ。笑