感想『残穢-住んではいけない部屋-』~俳優の自殺から考える正しい恐怖の仕方~

『残穢-住んではいけない部屋-』感想評価レビュー

映画『残穢-住んではいけない部屋-』の感想です。

原作が小野不由美著の『残穢』だけあって、じわじわとにじり寄る恐怖の積み上げ方が秀逸で、ホラーとしての格式高ささえ感じられました。

大きな音やグロテスクさでビックリさせるような恐怖シーンは皆無なので、静かに落ち着いて視聴できます。

この映画は作品そのものの評価や怖いかどうかに着目するような見方ではなく、主人公の「私」役である、竹内結子が自殺しているということを頭において鑑賞すると、恐怖が次元を超えて差し迫ってきますし、同時に、切なさをも味わうことができるでしょう。

今やホラー作品の“売り”が恐怖ではないことに気付けるはずです。

住んではいけない部屋とは、ただ一つの物件の一つの部屋を指すのか。
それとも、この人間社会という部屋なのか。

その部屋から引っ越すには……。

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『残穢-住んではいけない部屋-』

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あらすじと全般的な感想

小説家である「私」のもとに、女子大生の久保さんという読者から、1通の手紙が届く。「今住んでいる部屋で、奇妙な”音”がするんです」好奇心を抑えられず、調査を開始する「私」と久保さん。すると、そのマンションの過去の住人たちが、引っ越し先で、自殺や心中、殺人など、数々の事件を引き起こしていた事実が浮かび上がる。彼らはなぜ、”音”のするその「部屋」ではなく、別々の「場所」で、不幸な末路をたどったのか。「私」と久保さんは、作家の平岡芳明、心霊マニアの青年・三澤徹夫、そして「私」の夫・直人らの協力を得て、ついに数十年の時を経た、壮大なる戦慄の真相に辿り着く。だがそれは、新たなる事件の序章に過ぎなかった-。すべての事件をつなぐ【穢れ】の正体とは?予定調和を許さない驚愕のラストまで、目が離せない。

この少し誇張されたあらすじは実際の内容と噛み合っていません。
「壮大なる」と「戦慄」は同時に使っていい単語ではないですし、目を離せない驚愕のラストという表現は似つかわしくないです。

視聴者への期待のさせ方が的外れだと思います。
この要因は、ジャパニーズホラーが貞子や伽椰子に浸食されて長い月日が経った弊害によるものでしょう。
化け物として、あるいは、アイドルとして、Jホラーのアイコン的存在を賞賛する。それは、ホラー作品との真摯な関わり方ではありません。

商業的な世間の風潮に取り込まれた哀れな被害者に貶めているだけです。
それでは、死者の無念を何一つとして感じ取っていない形骸化した恐怖の残滓を愉悦の道具に使役しているに過ぎません。

ましてや本作『残穢』に低俗な気分の高揚を促す興味の引き方をするのは、理解や思考、想像の著しい放棄といえます。だから、勘違いした人間が、全く怖くなかったと自慢するように本作を批難する流れを作ってしまっているのです。

しかし実際、誰もいない部屋から毎日奇妙な音がして、怖くない訳がありません。

想像力の欠如は、あらゆる状況において、不利益をもたらします。
そのため、<正しく恐怖する>ことを忘れた現代人は、今まさに、死者の無念を生み出し続けているのですから。

もはや、この社会全体が事故物件であり、穢れの堆積した呪われた部屋なのです。

怖いのは、死者ではありません。
死者を生み出し続けてもなお、平然と生きてられる人間の浅ましさです。

そのことにまだ気づけていない人間こそが、私にとっては何よりの恐怖の対象と言えます。

コロナ禍に俳優の自殺が続いたことについて

あれ以来、私がこの日本を表現する時はこう言うようにしています(もちろん誰かに面と向かって言う訳ではないですが)。

「三浦春馬が自殺しないといけなくなるような国」

これはもう反論のしようがありませんよね。痛烈に端的に日本社会の現状を言い表していると思います。
このニュースが報道された時、どれだけの人間がどこまで思考を突き詰めたでしょうか。それとも、ただただ日常の一事件としてすぐさま忘れ去ったでしょうか。

ある程度有名な俳優だからといって特別視していた訳ではありません。熱心なファンだった訳でもありません。
しかし彼の活躍をいくつかの作品で知っていた私は、彼と齢が近いの一人の人間として、その死を知って、衝撃を受けると共に妙に納得してしまいました。

それは彼の演技ではない純粋な精神は、この世には適さないだろうと思っていたからです。
直接知り合いでなくとも、話したことはなくとも、その高潔な魂は感じ取れます。

彼はおそらく、この世の不条理や理不尽を味わって無残に死んでいった一人ひとりを可哀想だと思える人間だったのでしょう。

日本における自殺者数は、明確に自殺だとカウントされていない不審死も含めて考えると、なんと、日換算で100人オーバーです。この国では毎日100人以上が自殺しているのです。凄まじいことですよね。

つまり、そこかしこで人が死んでいるのです。
普段利用している駅や建物は、紛れもなく“事故物件”です。

純粋な精神を持つ人間がこの事実に堪えられるでしょうか。
無理ですよね。この現実を見て見ぬ振りして生きるなんて、よほど“器用”でないとできません。

私の当時の生活状況も相まって、彼の死は非常に身近なものに思えました。
「三浦春馬も耐えられなかったか、この世には……」そう思いました。

しかし私は純粋さを犠牲にすることによって、何とか生きながらえています。
それが彼からすると不義理に見えるかもしれない、と負い目を感じながらも。

そして、彼の死から2ヶ月後、芦名 星、竹内結子と俳優の自殺が続きます。

熱心なファンでもなくただ齢が近いだけの自分にとっても少なくない影響があったのですから、彼と共演したことのある人なら、その衝撃はかなりのものだったに違いありません。

その2人は、彼の自殺に感化されたのでしょうか。
思うに、彼の死が「ああ、この世界はやっぱり生きるに値しないんだ。彼が生きるのをやめるような世界なんだもの」と、どこかで線引きされていた、歯止めがかかっていた死というものへ境界を取り去ってしまったのでしょう。

あれから6年以上。
この社会はもっと悲惨なものになっています。

いずれ近いうちに多くの人が思うかもしれません。
「もっと早く死んどいたほうがよかった。三浦春馬が自殺した時くらいには」と。

生きることを賞賛できる時代はもうとっくに終わりを迎えています。
これから人類が考えるべきは、どう静かに終わるか、です。

そうしないと、この世は馬鹿だけが生き残り、馬鹿だけが繁殖する世界になります。
けれど、馬鹿だらけなので、そのことに気づけません。

そして今、そんな世界にすでに片足以上踏み込んでいることは疑いようがなくなっています。

そのことを誰かが気づかせないと、悲劇は繰り返され続けるのです。
だから私は、その誰かになろうとしています。

さて、
これらを踏まえて、『残穢-住んではいけない部屋-』は視聴してみてください。

▼視聴はこちら
『残穢-住んではいけない部屋-』

どうしてその部屋だけ?という疑問

至る所で人は死んでいるという話を上述しましたが、ホラーや怪談話で気になるのは、まさにその点。

「なんでその部屋にだけ呪いが発生するの?幽霊が出るの?おかしくない?」
「地球はこれまで何億人も死んでるんだから、そこら中、幽霊で溢れ返ってるはずだよね?」

これを自分なりに解釈するのが作品の楽しみ方なのですが、確かに、これに納得できないと冷めてしまいますよね。
あとまあ、ホラー作品への関りが少ない未熟な人間はこういう疑問を持ちやすい傾向にある気がします。

これは解釈次第で、問題なく納得できるでしょう。
すでに答え(三浦春馬関連のこと)を上述していますし。

その答えとは、
「人は人を見ていない」
ということです。

街を歩いていて、その全員を、視界に入った全員をきちんと見れる人間はいますか?
いませんよね。不可能です。ほとんどが通り過ぎていくだけですから。

幽霊というのは、そのきちんと見れていない人間のことなのです。
つまり、幽霊は実際にそこら中を溢れ返っているのです。

その通り過ぎた人間のうち一人が、次の日自殺したとして、哀しみますか?
そもそも、自殺したことを知りようがないでしょう。有名人でもない限り。

呪いというのは、その忘れられたという事実のことなのです。
つまり、呪いとはそこら中で、発生しているのです。

問題は、それを認識するかどうか。
それをきちんと見た時にはじめてそれは“ある”のです。

その“ある”ことを認識した話が、ホラーや怪談なのです。

幽霊を見るというのは、他人が他人ではなくなること。
ただそれだけのことです。

三浦春馬が自殺して、それに影響されて一般人の方の中にも自殺した人がいるかもしれません。
でもそんなこと、家族や友人でもない限り知りませんよね?
ましてや、悲しむことなんかしませんよね?

どうしてその部屋だけ?
という疑問自体がおかしいことがこれで分かります。

世界中、そんな部屋だらけなのです。
ただ、知ろうともしていないだけ。見てすらいないだけ。

幽霊や呪いは生者が生み出しているのです。

本作を真に“楽しむ”には、こうした想像力が必要です。
穢れの残った土地。それは今、自分が住んでいる土地もそうなのかもしれない、と。

結局のところ、死なないと分からない

結局のところ、死なないと分かりません。
でも、死んだら誰にも伝えられません。

引き返せない一方通行の道を私たちは生きています。
それを“時間”や“人生”と定義する人もいるでしょう。

家族や友人、知人ですらない人間の死を悼むことなど、“普通の人”はしません。
地球の裏側で誰が死のうが気にも留めません。

だから、人は生きていられます。
それらを“なかったこと”にできる器用さによって。
認識しない、見ない、という選択を取ることによって。

ホラー作品はそれを眼前に突き付けてくる重要な存在なのです。
だから私は定期的に日常的にホラー作品に触れ続けるのです。

これが他のいろんなレビューでも言い続けているホラーの本質だと私は考えています。
ゆえに、ホラーの本質を蔑ろにする、理解のない“商品”を私は糾弾したくなるのでしょう。

本作『残穢-住んではいけない部屋-』の「私」を演じる竹内結子はもうこの世にいません。

単なる怪談話やホラー映画などのフィクションに留まらない本質を、この映画を通して感じてみてはいかがでしょうか。

そして、<正しく恐怖する>ことを忘れないようにしましょう。でなければ……。


以上、『残穢-住んではいけない部屋-』の感想でした。


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『残穢-住んではいけない部屋-』

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