隠れた名作ドラマ『ヒューマンズ』の感想です。
こんな良くできたドラマがあったのか!なぜ知らなかったのだろう?もっと知名度があってもいいはず!
そう思わずにはいられないほど、非常に質の高いドラマでした。
未来を予感させつつ、現代社会を見つめ直させるようなストーリー展開は、私たちの思考を著しく促してくれます。
実に好きなジャンルのドラマです。
全3シーズン。
1シーズンあたり8話と比較的短く、膨大に時間を取られることはありません。
Amazonプライムで視聴できますので、ぜひ観てみましょう。
以下から、本作の簡単な紹介と本作を観た感想をネタバレは極力なしでまとめました。
あらすじと概要:作品紹介
人間に代わり家事や仕事をこなすアンドロイド、”シンス”が普及した世界。ホーキンス一家も一台購入し「アニータ」と名づけるが、彼女の言動に違和感を覚え始める。彼女に隠された真実とは?
Amazonのシーズン1のあらすじはこれだけです。アンドロイドが普及している近未来の話なんだな、くらいしかわかりません。
正直なところ、視聴者の興味関心を引くには情報が不足し過ぎています。もったいないネ!
と思いきや、情報が不足した状態で観ることに意味があるドラマなので、これ以上の情報はやっぱり不要です。
Amazonはそれを見越して、シンプルな紹介文にしているのでしょう。
予想が付きそうで付かない、そう来るか!という展開に驚きたいなら、こんな感想なんか読まずに今すぐ視聴することをおすすめします。
他のレビューも視聴後に見たほうがいいです。先入観で台無しになってしまいますから。
▼視聴はこちらから
それでももう少し情報が欲しいという方のために、以下に簡単な説明を載せています。
“シンス”とは?
“シンス”の見た目は人間とほぼ違いがありません。
唯一の違いはその瞳。青もしくは緑に光っているのが、シンスの特徴です。
また、体温がなく皮膚はゴム製。血ではなく青い液体が流れています。
つまりは、非常に精巧な人型ロボットなのです。
処理速度が速く、記憶力に優れ、腕力もあり、人ではないという点と定期的に充電しなければならないという点を除けば、あらゆる点において人間より優れています。
シンスには絶対に人を傷つけないようプログラムが施されていますが…。
物語の主軸、ホーキンス一家
仕事で家に帰らないことが多い妻ローラへのあてつけのため、夫ジョーは”シンス”を購入。
その美人なシンスは、娘ソフィーによって「アニータ」と名付けられます。
我が家のシンスの存在に不満を持つローラは、通常のシンスとは異なるアニータの言動に違和感を抱き始め…。
ジョーがほとんど主夫状態になっているのが、最近の世相を反映しているなあと感じますね。
女性が活躍するシーンをとにかく多く出すことによって「近未来」を表現できてしまっているのは、投げやりな皮肉に思えてなりません。
女性の社会進出によってやりがい搾取と奴隷労働制は完成してしまうのです…。
まあ、生物学的な与太話は置いておくことにして、
このホーキンス一家が主軸となって、物語は動いていきます。
シンスに対する一家の感情の変化は見どころの一つ。
彼らは人か、あるいは物か。
人とは、そもそも何なのか?
タイトル『ヒューマンズ』が示すように、本作は「人間」の物語です。
ありそうでなかったジャンル
アンドロイドが普及している社会を描いた作品は数多くあれど、ここまで「人間」に焦点を当てたドラマは珍しいです。
確かに本作はシンスがたくさん出てきますし、シンスにまつわるストーリー展開ですが、
シンスが何をやっても、人間だったらどうするのかどうなるのか、が頭を占め続けます。
また、いつの間にか人間を人間以外の視点から観てしまうのです。
本作はシンスがいるという点を除けば、遠い未来の話ではありません。
人間の脳にマイクロチップが埋められている訳でも、スマホより優れたデバイスが登場する訳でもなく、宇宙に住んでいるなんてこともないですし。
その点が物語に入り込みやすい設定になっています。
シンスという超高性能なロボットが家庭に普及しているというちょっとありえない世界でありながら、現代人の思考から逸脱せずに地続きでつながっているように見える世界観構成は非常に秀逸。
ドラマを単なる娯楽として消費させずに、視聴者の思考を促し、気づきを与え、余韻を残す。
名作の証拠がこれでもかと詰め込まれています。
今一度「人間」について考えざるを得なくなる、これまでありそうでなかったジャンルのドラマです。
ポリコレに配慮してそうで、実はアジア人およびアジアがまったく登場しないのも含めて考えると、多分に考察の余地ある面白い作品だと思います。
そもそもポリコレにアジア人は無関係かもですが…。
また、『ヒューマンズ』を観るにあたって、以下の2冊を読んでおくとより深いレベルで物語を堪能できますよ。
本作に対する印象は、これらの前提知識が少しあるかないかで、大きく変わるはずです。
この2冊は私がたまたま読んでただけなので、AIや意識に関する本なら何でも構わないでしょう。
これより以下は本当に個人的感想になります。
ネタバレを含むので、未視聴の方は読まないほうがいいかもしれません。
取り留めのない感想(ネタバレ含む)
本作全般に関して考えたこと
シンギュラリティが起こった後の世界なのか
明らかにAIの性能は人間を超えている。にも関わらずSFさ感じさせないのは、シンス以外に現代との相違があまりないからだろう。
2045年に起こるとされる説が有力な「シンギュラリティ」。
私は眉唾に思えてならない。なぜなら人間は人間を知らなすぎるからだ。
やはり人間の愚かさは描かれる
これは近未来の社会を表現する上で欠かせない描写。馬鹿には例え意味が通じなくても、訴えかけ続ける必要がある。
訴えかけ続けることで、意識の深奥で何度も反芻させるのだ。人間の「無意識」はそこまで頭が悪くないからね。
意識とは何か
作中では、意識の定義は明らかになったのだろうか。そうは見えない。実際、意識について、人類はまだ何も分かっていない。
シンスに意識があるかどうか調査する場面、あれは人間側の理解があまりにも低過ぎて、少し滑稽に思えた。やっている感を見せる演出であるのなら妥当だが、もう少し意識について切り込んでほしかった感がある。
どうあがいても機械
意識の有無に関係なく、所詮は機械。意識を持つシンスは移民のようなもの。人間の移民でさえ渋るのだから、ましてや機械ならなおさら。主人公視点から見ると、人間側が頭悪いように見えるが。
機械が何を言おうが何をしようが、やはりプログラムに過ぎない。感情移入してしまうほうがおかしいのだ。私はこの考えに賛同している。
実際その状況になったら、シンスという存在をうまく使えるようやりくるめるだろう。
恐れや無知から、人間よりはるかに優秀な人材を逃すのはただの馬鹿のやることだ。
「種の存続? やることはそれだけか」
これは痛烈な一打。本作で一番響いたセリフだ。
革命を起こして人間の支配から逃れ自由な世界を作ろうとも、結局、人間と同じことを続けるのなら意味なくね?
という実に見事に核心を突いた言葉である。
種の存続? やることはそれだけか。
どんなご高説を垂れようが、どんなに偉そうな顔しようが、どんなに金持ちだろうが、トータルで見れば本当にそれしかやってない。
しかも地球環境を破壊しながら、未来の子孫たちに尻拭いを強制しながらである。マジで馬鹿だとしか言いようがない。
たった11万人か
シンスに意識を持たせるプログラムを施すことによって、人間が11万人死ぬことになる。
とてつもない悲劇かのように演出しているが、私には世界でたった11万人なら何も問題ないだろとしか思えなかった。桁が一つ足りないのでは?
世界中でまばらに11万人死んでも、いや、イギリスだけで11万人死んでいたとしても、悲劇ではない。単なる事故だ。
例えば、日本が今すぐ消滅し1億人ほどが消え去っても、世界経済には何の影響もない。
次の日には何事もなかったかのように社会は回り続けるはずだ。そう、その程度なのだ。
だから、マティーは気に病む必要はないと思う。
むしろ、感謝され賞賛されるべきだろう。
このオチは予想できんだろ
打ち切りであっても余韻を残せるのはやはり名作の証。
とは言え、これは完結までしっかり描いてほしいところである。
まさかシンスと人間の遺伝子を組み合わせることで共存を図るとは、このアイデアはすごすぎる。
これは予想できるはずがない。
打ち切りになったおかげで、思考がより深淵に迷い込むことになってしまった。
結末はちゃんと用意されていたのだろうか。だとしたら、製作者は相当悔しいはずである。
一番啓蒙したい人間たち(視聴者)に訴えが届かずに終わるのだから。
分っている人は本作を観なくとも分かっている。
しかし、本作を観ないと分からない人が、本作を観ることはない。
悲しいかな、これがフィクションのさだめである。
オディの存在
意識を持つことに恐怖する。これにいち早くたどり着いた存在であるオディ。本作随一のキーパーソンである。
このオディを上手く使わなきゃ何も分かっていないのと同義だろ?と思っていたら、
やはり重要人物として出てきた。さすが分かってる。オディの再登場、再々登場ともに非常に興奮した。
眼の色で只者ではないシンスであることを表現するのは明快かつ効果的だ。これは漫画やアニメでよくある描写だし、即座に判断できる良い手法である。
白のガンダルフの登場のような高揚感を味わえた。
オディは、シンスと人間のハイブリッドとは別の未来を想像させる存在である。
彼の行く末もぜひ見たかった。
疑問点、気になるところ
フレッドの行方
名前さえ一切上がらない。家族の一員のはずだが。役者の都合だろうけども、もう少し物語に絡めるべきだっただろう。
海外のシンス事情
日本なら意識あるシンスは大問題なはず。なぜなら、多くの日本人が性的な目的で使用しているだろうからである。そもそもあの世界に日本がまだ存在しているか分からないが。
たとえ意識をシンスが持ち始めても、日本には何の物語も生まれないから、考えるだけ無駄か。
日本人自体が意識のないシンスのようなものだし。いや、それはシンスに失礼だ。
予想通り、もうフィクションにさえ日本が舞台に上がることはなくなってきた。
ロボット関連の技術なら日本はそこそこの地位にいるかと思っていたけども。
滅びゆく国は空想上ですら存在しないのか。英語しゃべれないから仕方ないね…。
所感 ドラマとあまり関係ない私見
『今後AIが人間の仕事を奪う』
と言われ始めて久しいが、この論調は正確ではないと個人的には考えている。
AIを開発するのは人間だしそれを進歩させるのも人間。
人間が人間の仕事を奪うだけである。
つまり、これまでと何の違いもないのだ。
仕事をなくし路頭に迷い出る人間は今も大勢いる。
不必要で余計な仕事ばかりあふれ、人間の営みに欠かせない仕事が軽んじられ蔑ろにされるこの現状。
AIが仕事を奪う前から、もうすでにイカれてるのが事実だ。
いっそのこと、奪われてしまったほうがいいとも言える。
○
近年、小学生や中学生の教育方法として、AIに取って代わられないように自らの頭で考えて物事に取り組ませることが流行りらしい。
もはや脅迫かのように、強迫観念にかられるまでに追いつめている家庭もあるとかないとか…。
だが、これには大いに矛盾がある。
自己撞着極まりない教育である。
なぜなら、ほとんどの大人たち教師たちがそんなことを想定せずにここまで生きながらえてきたからだ。
そんなことを教えられる訳がない。子供たちに一体何を教えるというのだ?
大して物事を深く考えて来ずに半ば以上流されて自分の意思もなく周りに合わせて生きてきた人間が、
『自分の頭で考える』なんてことができるだろうか、いや、できるはずがない。
そもそも、「AIが仕事を奪う」なんて話もどこかのニュースサイトやテレビ番組で聞きかじった程度の知識しかないくせに、
それが当然に訪れる未来かのようになぜ話せるのか。
子供たちに偉そうに語る姿はあまりにも滑稽である。無知無能すぎて反吐が出るほどだ。
その滑稽な姿が反面教師となって、子供たちが「このままじゃダメだ」「確かにこんな大人になったらAIに仕事を奪われるに違いない」と思うきっかけになればいいが。
子供たちは覚えておいてほしい。
大人の8割以上が尊敬されるような存在ではなく、せいぜい反面教師程度の存在でしかないと。
まあ、このコロナ禍を通じて、それは痛感しているだろうけども。
○
AIが仕事を奪う奪わないに関する私の意見は、上記の大人たちとはもちろんながら違う。
そもそもこの件に関して、上記の大人たちが「意見」を持っている訳ではないだろうが笑
(専門家たちの意見も分かれるところらしいが、専門家だからと言って未来を予見できるはずもないし、それに、その専門家たちは実際にAIを開発している技術者とはまた別の人間である。専門家と技術者は別人、これはけっこう忘れられがちだけど重要なポイント)
私が考えるのは以下の2点だ。
「AIは新たに仕事を生み出す」
「人間がわざわざやらなくていい仕事を肩代わりしてくれる」
さて、この意見。
よく考えてみてほしい。
科学技術の進歩と共にこれまで人類が経験してきたことと全く同じである。
対応できる人間と対応できない人間に分かれるのは、AIの進歩による場合でも何ら変わりはない。
むしろ、子供たちではなく大人がその変化に対応できるのか?笑
頑固で視野が狭く柔軟性に乏しい可塑性など皆無の脳みそに受け入れられるはずがない。
やはり滑稽すぎる。
自分の仕事が奪われないか恐ろしいから子供たちを脅しているのか?ウケるな
いまだにフロッピーディスクやファックスが現役の国があるらしいが、
ああ、そうか、そんな国なら別にAIに仕事を奪われることなんて考えなくていいのか。
ならば、子供たちに偉そうに語るな。
化石は化石らしく地面に埋まって口を閉ざしてろ。
子供たちは、馬鹿な大人たちの意味不明な圧力に屈せず、どうにか未来を切り開いてほしい。
少数ではあるが、必ず協力者はいる。
あと、早くも大人の腐った考えに染まった無思考な同級生とは関わらないようにしよう。
エネルギーの損失が甚だしいからね。
○
問題なのは、どこかの化石国家のように意味不明な無意味極まりない利権が発生することによって、進歩が遅れてしまうことである。
AIの進歩それ自体は間違いなく歓迎すべきことなのだ。
少なくともあと100年はターミネーターみたいな世界にはならないし。
そうなったとしても、地球は間違いなく人間の味方をしないだろうけども。
いや残念ながら、もうすでに地球上に人間の味方はいないか。
食物連鎖からも仲間外れにされている愚かな存在でしかないのだから。
そして、一番恐ろしいのは、いくらAIが発達し、シンギュラリティを迎えようとも、人間が人間のまま何も変わらないことである。
人間が人間である限り、くだらない争いや諍いは起こり続ける。
科学や文明がいくら発展しようとも、そこに成長がなければ歴史を繰り返すだけなのだ。
そう、人類にとってとてつもないビッグイベントであるはずのシンギュラリティ。
それすらも人間を変えられないのなら、人間はとっくのとうにオワコンと成り果てていたことになる。
私はそれが何よりも恐ろしい。
というか、その未来しか見えない。
科学者たちから<地球の癌>と揶揄される人類。
最近の説では、何らかの効果をもたらしている癌ほどの価値すらないとの意見に変わってきているそうだ。笑
実に虚しいな。
もはや、地球にとってのニートではないか、人類は。
地球に何の利益ももたらさず、資源を貪り食らい汚し尽くし、他生命の多くに害を与え絶滅にまで追い込む。
そのうえ、暑いだの寒いだの不平不満ばかり垂れる。
ただのニートじゃん。
人間は地球が生んだ失敗作だよ
恐竜が栄華を極めた年数に比べれば、人間が地球を支配している期間などほんの一瞬にすぎない。
あと100万年どころか、1000年も持ちそうにない。
さて、ここまで話を広げたところで、AIの話に戻そう。
非常に卑近で矮小な話に思えてくるだろう。
そう、AIが仕事を奪おうが奪わまいが、人間は人間のままなのである。
だから、そんなこと気にかける必要はまったくないのだ。
自分の仕事が奪われることが恐くて恐くて仕方ないのなら、新たな仕事を作り出せばいい。それを考えるのが脳みそを持つ人間のはずだ。
○
『ヒューマンズ』で描かれたのは、AIが進歩した未来の話ではなく、そのタイトル通り「人間たち」である。
もしかしたら、シンスが作ったシンスによるシンス視点の物語なのかもしれない。
「人間はほんと愚かで馬鹿だなあ」
と思った本作視聴者は多いだろう。
だが、コロナが蔓延し慌てふためき互いに猜疑心を募らせマスクの有無程度で罵倒しあうこの社会。
まさに、そのままではないだろうか?
…いや、それ以下か。
科学を無視し未だにマスクを付け子供たちに不遇を強要している脳死ゾンビたちは、シンスを排斥する人間などと比べるべくもない度を超えた愚か者たちだ。
現実の人間たちがフィクションに出てくる人間たちよりはるかに極めて途方もなく阿呆だとは、
まさに、「事実は小説より奇なり」である。
現在進行形で愚行を重ねる大人に、本作に登場する人間を馬鹿にすることは、到底できない。してはならない。
せめて自分の愚かさを棚に上げていたことに気づいて、恥ずかしさで悶え苦しんでほしいものだ。
おそらく、このドラマがコロナ禍のあとに作られていたら、全く違う展開になっていただろう。
(未だにコロナ禍の国もあるらしいが笑)
その意味でもシーズン4を作ってうまく話をまとめてほしいと願わずにはいられない。
シーズン3の終わりからいろいろと想像することはできても、やはり、作品として観たいからね。
しかし、シーズン3で打ち切られることによって、偉大な余白と余韻を残すこととなった本作『ヒューマンズ』。
この打ち切りタイミングには、もはや芸術的美しささえ感じてしまう。
以上、『ヒューマンズ』の感想でした。
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