感想『DEATH NOTE(デスノート)』~今この社会にこそキラが必要か。改めて善と悪、人殺しの是非を考える~

kindleで50%ポイント還元セールをやっていたので、カラー版で『DEATH NOTE(デスノート)』を久々に読み直しました。

初めて読んだのは中学生の時。いろいろ衝撃を受けたことをよく覚えています。

今でも好きな漫画のひとつ。
何度も映像化されていますが、原作の無機質な魅力は他の媒体にはありません。
アニメも悪くはないけれど、エンディング含め原作の「ジャンプ漫画感が皆無」なところが特に好きです。

中学生の時と認識・受け取り方が異なるシーン・セリフが多々あってその意味でも楽しめました。

青年誌版(R18版)が連載開始しないか心待ちにしている今日この頃。

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もしデスノートを手に入れたらどう使うか考えたあの頃

デスノートを読んだことがある人なら誰しも一度は考えたことがあるはず。

「もし実際にデスノートを手に入れたら誰を殺すだろう…」

思春期の中学生にとって、好きに人を殺せるノートというのはとてつもない魔力を持っていました。
当時、ノートの表紙を黒く塗りつぶして修正液でDEATH NOTEと書く奴がクラスに一人はいたんじゃないでしょうか。

それほど「ノートに名前を書く」だけのありふれた日常的な行動と通常は決して縁のない「死・殺人」を掛け合わせる発想はすさまじい影響力のあるものだったのです。世紀の大発明と言っても過言ではないでしょう。

多感な時期にそんな漫画を読めば、「人殺しはなぜダメなのか」「正義とは?悪とは?」などの問答に頭を悩ませ始めることは必然。
これらの哲学的な思考の発露を促してくれた意味でも、私にとって精神的ランドマークとなった重要な作品です。

中学生の頃は殺したいと思うほど憎い人間はいなかったが

中学生の私は実際に手に入れたとしてどう使うか考えてみました。

しかし、ライトのように犯罪者の名前を書き連ねることは難しいし多分途中で飽きるに違いない、かと言って、今すぐ殺したいほど特別憎んでいる人間もいません。
ヨツバの火口のように、誰かを殺すことで金持ちになれるならやってみたいと思いましたが、誰をどう殺せば自分の懐にお金が入ってくるのか、当時は想像もできません。

という訳で、結局、考えがまとまらないまま終わった気がします。

まあ、すでに悟ってましたよね。
周囲の誰かを殺したとて、自分の頭が良くなる訳でも、自分の身体能力が向上する訳でもない。ましてや、イケメンになったりもしないのだと。
だから使い途を思い浮かべられなかったのでしょう。ほんと、純粋で真面目だったなあ笑

それがゆえにすでに人間自体は嫌いでしたけどね…。

今なら誰に使うかどう使うか

当時と違って今はあまりにも紆余曲折ありすぎていろいろ捻じ曲がってしまいましたので、いくらでも使い途は思い付きます。
あれほど純粋で真面目だった中学生をここまで変えてしまうこの社会はやはり「腐って」いるのでしょう。

人は私を変人とかサイコパスとか勝手に宣いますが、そんなものはあくまで相対的評価。
私からすれば、この社会を迎合し適合出来ている人間のほうがはるかにイカれ狂ってるとしか思えません。

それでも、真っ先に殺したいような特定の個人はやはり今もいないです。
最初に殺したい人間はむしろ私に愛されている人間だろ、と自嘲気味に気づきました。そんな人間いる訳がない。

そんな今の私なら、デスノートをこう使います。
「善人、悪人に限らず満遍なく無作為に名前をひたすらに書き連ねる」

なにせ、善か悪かなんて人間が勝手に決めてるだけだからです。人間という時点で優劣はなく、全てが等しく害悪なのです。
「地球環境」や「野生動物」視点からすれば、人類そのものに存在価値がないのです。

どんなに優秀な人間だろうが、どんなに容姿が優れていようが、どんなに身体能力が高かろうが、平等に不必要、同等に邪魔な存在。例外はありません。

そう、今の私なら人を選ばずとにかく名前を書きまくります。
スマホとSNSが普及したこの社会ならいくらでも簡単に個人情報にアクセスできます。わざわざ警察のデータにアクセスする必要はありません。
特にFacebookなんて、自殺志願者リストに早変わりです。

とはいえ、1日に1000人の名前を50年休まず書き続けたとしても、1825万人しか殺せません。
その間にそれ以上産まれてくるでしょう。これだと意味がありません。自然死や病死、自殺、事故死のほうがはるかに多いですし。
(日本の出生率基準だと遠くない未来に50万人割るでしょうから、そうなるといい感じに拮抗しそうではありますが)

アイドルグループやプロ野球選手全員同時に心臓麻痺とかを繰り返せば、世間への影響は発生するでしょうけれど、恣意的なのはちょっと趣味じゃないし。

となると、人海戦術をやるしかありません。
デスノートに名前を書くビジネスを展開しましょうか。

全員短期アルバイト「顔写真を見ながら名前を書くだけの簡単なお仕事です!」
契約の際に23日後に死ぬようにデスノートに名前を書けば情報漏洩も防げます。
卒業アルバムを全国から集めればけっこうな数稼げるでしょう。もちろん、Facebookも有効活用。

SNS全盛のこの社会で続編は厳しいか

という感じでデスノートの使い方を考えてみたところ、SNSが普及しすぎて続編描くのが難しいんじゃないかと思えてきました。
デスノート使う側が有利すぎて勝負になりませんよ。これだけネット上に個人情報(顔や名前に限らず)が溢れていて、そのすべてを制御するなんて不可能でしょうし。

特に今の若い世代の、ネット上に顔写真を上げることに対する抵抗の無さも拍車をかけます。
ガラケー時代からすでに勝手に他人の写真を撮る友人がいましたが、そんな奴とはソッコーで縁を切ってましたね。なんでダメなん?じゃねえよカス。
しかしほんと、よくもまあドヤ顔の自撮り写真を平気でアップできるよなあ。加工しまくってるから身バレはしないという確信があるのかな。

エログロありの18禁版デスノートを読んでみたいと常々思ってはいるものの、ポリコレとかグロ規制とかではなく、「SNS普及による弊害」がある限り無理っぽいですね。
いつまでも舞台設定が昭和か平成初期、もしくは電波圏外になるホラー作品を彷彿とさせます。

キラ派かL派か

もしデスノートを手に入れたら、の次に話題になったのは間違いなく、「キラ派かL派か」でしょう。
デスノート読んでたら少なからずやはりどっちかに考えが偏るはずですから、大いに盛り上がること必至。
思考レベルが同等の友人が周囲にいればの話ですけども。

この会話ができる友人が近くにはいなかった

この議論は、哲学的思考を促す意味で中学生のディベートの授業に取り入れてもいいくらいです。
法律的な概念を学ぶきっかけにもなりますし、非常に有用性の高い議題になるでしょう。

残念ながら私の周囲にはこの話ができるほど真剣に読み込んでいる友人はいませんでした。
それどころかライトが何をしたいのかよく分かっていない奴らのほうが多かったような…。笑

まあしかし、ライトの思考はともかく、行動原理を理解するのは確かに10代の学生では無理があるかもしれません。
「俺だったらミサミサとイチャイチャして過ごすけどなあ」とぼやくクラスメイトがいたのはむしろ正常です。

実際、現在の生活に対して大きな不満がなければ、「そんなこと」に頭を悩ませる必要はありません。
ましてや中学生に、「死刑制度に賛成か反対か」なんて議題でディベートをさせる教師がいたら無能そのもの。

「キラ派かL派か」というクッション(オブラート)に包んで興味を喚起させるのが賢い手法でしょう。
当時の大人(教師)はまだマンガを授業に取り入れるなんて発想はなかった気がしますが。

大学生のディベートですらこの類の議題は感情論に終始することも少なくありません。
「キラ派かL派か」であれば論理的に意見を交わし合えるのではないでしょうか。

かくいう私は断然「キラ派」です。

L派は偽善者

犯罪率を下げるのって非常に難しいんですよ。個人の気持ちの問題ではなく、社会情勢が密接に絡んでいますから。
教育・福祉の充実や法制度の整備拡充、犯罪を起こしにくい街づくりとか、そのレベルで変えていかないといけませんし。

でも、デスノートでは<キラに殺されるから。キラに殺されるかもしれない>という個人に直接恐怖心を与えることで実現している。
「これができればいいのにな」と真っ先に思いつく解に、回りくどいこと抜きに到達している。

これは実に素晴らしいことなのです。
死刑制度とはこうあるべきものという理想の形をキラ(デスノート)は達成しています。

本来、死刑制度は、死ぬ苦痛を味わわせ罪を償わせることを目的としているのではなく、死ぬことへの恐怖心を利用し犯罪行為への抑止力とするのが目的。

現行の死刑制度とキラとに何の違いがあるでしょうか。
キラによる恐怖支配、独裁政治だ!と非難する者は作中でも大勢いましたが、国(と言いつつごく少数)が勝手に決めた法律に従わない者は問答無用で罪人となる仕組みと何ら変わりありません。

むしろ、余計な税金や労力を使わないこと、そして、実際に大いに抑止力となっていることから、現行の死刑制度よりはるかに優れているのは明白です。

この事実を無視し、「それでもキラは大量殺人犯だ」と訴えるものがいるとしたら、キラを「国」に置き換えても成立することに気付いてないだけでしょう。
そもそも死刑制度自体が「国による殺人」。人を殺したのに罪に問われないのはおかしいとは思いませんか?

だから死刑制度を廃止してる国が多いのです。死刑の無い国からは、アメリカも日本も野蛮な国扱いされています。
特に日本人は国民感情が元々「キラ寄り」なんですよ。切腹とか村八分とか、その時代から連綿と続く根っからのキラ派。

よって、L派は現実の見えていない偽善者としか思えません。

今ならキラ派で溢れかえる

当時はL派が過半数だったような気がします。統計を取った訳ではないですが、そう言わざるを得ない空気感が世間にありました。
どこかの雑誌のインタビューか何かでは、小説家とか芸能人とか世間にある程度名の知られている人たちはこぞってL派と答えてましたね。

しかし、この現代日本なら確実にキラ派で溢れかえるでしょう。
ネットリンチやSNSでの誹謗中傷など当たり前。自分の正義から外れるものがいたら、総叩き。精神が病むまで、時には自殺するまで追い込む。

すばらしいですね。頭の悪いキラがいたらこうなるんだろうなって感じです。笑

幸い、作中のキラ(夜神月)には明確な線引きがありました。
更生の余地がある者や明らかに故意ではない殺人の場合は殺さないようにしています。
魅上がやり過ぎた際にはすぐさま軌道修正しようとしていたくらいです。

Lおよびニア・メロとの勝負の中では物語の都合上、幼稚で負けず嫌いなのをフィーチャーされ、それによりボロが出ることでようやく対等になるように設定されてましたが、デスノートという物語の主人公でなければ、ライトは何の問題もなく理想の世界を実現していたのは間違いありません。

L派が多かったのは、まだこの社会が法治国家で正常だと疑わない人が多数派だったからでしょう。

が、東日本大震災からコロナ禍を通して、その幻想も消え去り、日本の終わり具合は白日の下に晒されました。
実は、国や政治家のみならず、国民自体がとっくのとうに「終わっていた」ことも明らかになりました。

L派はこの社会が正常である場合のみしか成立しない立場なのです。
(正常だったことなんて一度もないですが)

海外で働いたり長期住んだり、色々な国を見てる人たちはみな口を揃えて、「日本人の民度が高いなんて一度も思ったことない」と言います。
コロナ禍を経てもそれでも民度が高いと思っている人間がいるならばそれはまさに「頭の悪いキラ」。本物に粛清される側です。

自分だけは「罪のない犠牲者」「善意の第三者」であると思い込んでいる人たちの多さはおそらく世界一。
実際、ロシア・ウクライナ戦争に関するアンケートでも、「ロシアが悪い」と答える人の割合が日本は諸外国より圧倒的に多かったようです。知識もなければ知能も低い。

曖昧に濁しハッキリ物申さない国民性のくせに、自分に関係ないところでは白黒つけたがる。
頭が悪く臆病で余裕がないから、誰かを悪者にしないと落ち着かないのでしょう。誰かを悪者すれば、自分が善人になると思い込んでいるのです。
ほんと、頭の悪いキラですね。迷惑極まりない。

L派の意見に、「キラではなくキラ派が好きではないから」というものがあったら、賛同するしかありません。
キラは死刑制度の理想・応用版なのだから決して否定できるものではない、というのはすでに述べました。
が、キラを信奉しているつもりで、自分たちで勝手に断罪する迷惑行為を働く者は、犯罪者以下です。
確かにそんな愚民どもで溢れるのなら、L派にならざるを得ませんね。

「自分は悪くない」と思い込んでいる人間ほど質の悪い存在はありません。
「生きていて当たり前」「幸福を享受できて当然」そう信じている人間の醜悪さには反吐が出ます。

この世に罪のない人間なんてただの一人も存在しません。
人類は一人ひとりが少なくない罪悪感を背負って生きていくべき罪深い生き物なのです。

『人類自体に存在価値がない。少なくとも地球にとっては』
この前提をもとに生きれば、多少は謙虚になれるんじゃないでしょうか。

いや、これを前提にしないといけないとかいう段階ははるか昔に過ぎ去っています。
今はもう、人間のゴールを決めて「人類の終活」を始めないといけない段階です。

SDGsとかなんとか今更ほざいてる企業が多数出現しているようですが、会社を潰せ!それが一番のSDGsだよ。

ジャンプ発売を心待ちにした最初で最後の漫画

当時、月曜日のジャンプを楽しみにしているクラスメイトが総じて頭が悪かったせいで、ジャンプ自体を敬遠していました。頭の悪い奴が読む雑誌という認識でした。

というか、私は単行本派だったのです。
だって、いらない余計な漫画に金払うのバカでしょ?あんな質の悪い変な色の紙で毎週1話だけ読むより、読みたい漫画だけちゃんと表紙のある単行本でまとめて読んだほうが良くね?
と思っていました。

が、デスノートだけは別でした。

ラスト数話の盛り上がり

そもそもデスノートを知ったきっかけは、部活の先輩に勧められたからでした。
その時はもう4巻まで出てたかな。帰りに本屋で「これ面白いよ」と言われて、「ふーん」と思って1、2巻だけ買ったのです。
尊敬できない先輩に勧められたなら無視していたんでしょうけどね。

家に帰って、ちらっと読んだら見事にドハマり。
我に返ったのは1巻まるまる読み終えた時。バレたらヤバくね?というあのスリルは中学生の自分には本当に衝撃でした。

その後、終盤になって初めて、私は単行本を待ちきれず、ジャンプに手を出したのでした。

倉庫に入ってからの数話の盛り上がりは本当にすごかったですね。
いやこれどうなるんだ?マジで?という感じで。

そして、ライトが死んだ後の先輩の「まだもう一話あるみたいよ」という知らせには、狂喜乱舞しました。

がっかりした結末

私には確信がありました。
これすらライトの作戦なのだと。自分の死すら計画の内なのだと。

しかし、現実は単なる後日談。
心底がっかりしました。

少年漫画で主人公負けさせて終わるかね普通?と受け入れられませんでした。

あの時は世間に漫画とは言え大量殺人犯を肯定したらダメな風潮があったことも理解はしてましたが、道徳的にどうこうではなく、ニアとメロが嫌いだったんですよ。
Lに負けるなら納得行ったんですけどね。

「死んだ後に行くところは、無である」じゃねえんだよ。
主人公が血まみれで地べた這いずり回って死ぬ姿を見たかったか?そんな訳ない。
(だからアニメでは改変されてたんでしょうね)

なんだろうな。結局、逸脱しきれなかったところに作者の臆病さ・弱さを感じたんでしょうね。
大人の汚さを見せつけられた感じというか。人殺しの先に理想はありませんとかいう説教じみた結末は本当にいらなかった。

この腐った社会で長生きしている分、少なからず迎合し適合し生きてきた分、ある程度恩恵もあった分、完全に否定することはできないんですよ。大人って。
それを見せつけられた感じがして、ほんと最悪な気分になりました。

最後少女に祈られて、神になりました演出はいいんだけど、そうじゃないんだよ。

作者本人がライトの意図を汲み取ってあげられていないというね。
結局、多数派にまわって、ライトを突き飛ばす恩知らずな終わりに感じました。

エンターテインメントとしても論外なんですよ。
急に「現実」を優先するなら、はじめから哲学的な内容にするべきだったし、社会学的な観点からも切り込むべきでした。それができないなら、ライトを勝たせるべきでした。

誰もが納得できるような結末は不可能でしょうけど。
L死後の展開の杜撰さは誰もが指摘するところではありますし。

とは言うものの、この全くもって救いようのない「ジャンプ感の無さ」は気に入っています。

今ならライトが勝っていた

もしデスノートが令和以降に連載されていたら、ライトが勝つ結末になったでしょう。
今や世間の風潮は、確実にキラ派ですから。

すでに述べているように、今の社会は個人間の私刑が多すぎます。義憤にかられる頭の悪い奴が多すぎます。
このブログのようにただ自分の考えを書きなぐり思いをぶちまけているのではなく、特定のSNSアカウントに突撃してその個人を非難してますからね。マジでヤバい。

こんな過疎ブログすらたまに愚かなコメントしてくる奴がいるくらいですし。
文句があるなら自分でブログ開設して勝手にほざいてろよ。自分の行為の異常性に気付かない奴がネットを使うな。

というこの世の中では、キラに勝たせる他ありません。
なぜなら、炎上するからです。今ライトにあんな死なせ方したら確実に炎上します。

そしてラストは、ライトのドヤ顔アップで終わるでしょうね。
いずれにしても理想の終わりは実現しないか…。

人を憎まず罪を憎む。
疑わしきは罰せず。

うーん。日本はもう法治国家ではないですね。言うなれば放置国家。
2040年予想が2025年に前倒ししてるみたいですし、ほんと逆に面白くなってきましたね。

25年どころかもうすでに実質的に滅んでるという説も有力です。
私もその説には賛同せざるを得ません。
「東日本大震災で全部なくなって実は日本中ゴーストタウンなんですよ、君ら全部幽霊」
そう言われたほうが腑に落ちます。笑

新たに気づいたこと、改めて気になった点

他人を巻き込む死はできない

となると、けっこう簡単に無効状態を作り出せる

6分40秒

定番のポテチテレビ・ひと晩ジェバンニ

Lがあまりにも不利すぎる

もしL視点の探偵小説があったら

Lに出会うのも、Lが死ぬのも早すぎた

今この世界にこそキラ(デスノート)が必要

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