『The Last of Us Part II』(PS4)を(7年待ったラスアスの続編ということで)じっくり丁寧にプレイし、1ヶ月かけてようやくエンディングに到達しました。
なるべく事前情報を入れずに感想に偏りが出ないよう先入観なしでのプレイでしたが、今作も誰がどうあがいても「傑作」だと言わざるを得ないほど完成度が高かったです。
では、前半はネタバレなしで、後半はネタバレありに分けてレビューしていきます。
私は「アビー」というキャラクターがけっこう気に入ったので、そこに賛同できない人はこのレビューは絶対に読まないほうが良いでしょう。
評価点:傑作である理由(ネタバレなし)
抜群の優れた人物描写
今作『The Last of Us Part II』の舞台は、謎の感染病(胞子)によって文明が崩壊した後の世界(アメリカ)ですが、人間関係や空気感は(本来の)日本のそれに近い気がしました。
おそらく、「間」を大切にしているからでしょう。
人物描写が非常に丁寧なのです。
特に、人物の表情は秀逸。
言いたいことが言えない顔、
怒りに打ち震える顔、
愛おし気に見つめる顔、
などなど、表情の表現がとてつもなく豊か。言葉では明確に言い表せない感情を見事に表現していました。
それから、会話も絶妙。
野暮ったいセリフや不自然な会話が一切なく、行間を読ませる工夫がなされていて、自然と聞き入っていました。
人間関係の成熟度や感情の機微を言葉だけに頼らず、表情や間(空気)で表現するのは、日本の文学作品でよく見受けられる手法。
ですが、今作はサバイバルホラーというジャンルに似つかわしくないほどその表現が巧みで、実にすばらしかったです。
この優れた人物描写こそが、プレイヤーに没入感を与える最高の仕掛け。
そして、今作の醍醐味と言ってもいいかもしれません。
私の特にお気に入りのシーンは、宇宙船(ロケット)のシーン。
あのシーンは、歴史に残るレベルだと思います。
時を感じさせるグラフィック
人物描写もさることながら、グラフィックもとてつもなくキレイで丁寧でした。
壁一つとっても、罅・皺・汚れ・埃・苔、すべてが違和感なく時の経過を感じさせるほど美麗。
今作は、ロケーションの豊富さも魅力です。
雪山、街、森、海辺、地下鉄、洪水した川などなど、どれも本当にハイクオリティ。
荒廃しつつも緑豊かな街は、グッとくるものがありますね。
あまりにもキレイでムービーとの境目が分からずに、プレイ可能状態になってもそのまま見続けていることも何度かありました笑
染み入るアコースティックな音楽
かつてこれほどアコースティックなBGMが合うホラーゲームがあったでしょうか。
キャラの心情を儚く強く的確に表現したギターの音色が、感情移入レベルを極限まで引き上げ、かつてないほどの没入感をもたらしていました。
音楽も今作において語られるべき必須要素。
特にギターは、ストーリーを語るうえでも欠かせないものとなっています。
エリーが弾き語りするシーンを見るだけでもこのゲームをプレイする価値はある、と言っても過言ではないでしょう。
TPSとしての完成度
今作は、TPSとしての完成度も抜を群いています。
プレイの幅の広げ方がタイミングよく、徐々にできることが増えていく過程は、非常によく考えられているなと感じました。
プレイヤーが難なく操作できるように配慮された誘導になっているのです。
戦闘時の選択肢の多さも魅力。
武器や道具の種類はもちろん、敵の攻撃を回避したり匍匐体勢になって草むらに隠れたり、前作よりもできることが大幅に増えています。
工夫次第でいろいろな戦い方が可能です。
それでいて操作が煩雑になることがないというのが何より素晴らしい。
瞬時に判断して適切な行動をとる楽しさが詰まっています。
(スニークキルは本当に楽しい)
行動の矛盾がないのも良いところ。
ありえない動きは基本的にしないし、人間ができることは基本全部できます。
(まあ、あの過酷な状況を生き抜いてますからね。多少無理に思えても鍛えられてますから…)
ゲーム上の都合による不自然な制限がないので、滑らかな違和感のないプレイができます。
派手さはないものの堅実な重みのあるプレイ感覚は、まぎれもなくTPSとしても傑作である証でしょう。
巧みなストーリー運び
展開の巧みさに舌を巻く
ゲームは自らが操作して動かさないといけない、そうでなければ話が進まない。
という当たり前の事実をストーリーに巧みに挿し込んでいます。
操作キャラクターが切り替わるタイミング。
キャラごとのプレイ時間配分。
少し先の未来がわかっているプレイヤーにそれまでの過程を別視点から追わせる展開。
そのどれもが、プレーヤーの心情を逆手に取った巧妙な構成になっています。
巧みというか、もはや、いじらしさを感じました。
いや、いじらしさに感動さえしました笑。
「ここでこのキャラを操作させるの?」と。
感情の行き場をなくさせるストーリー
「落ち着かなさ」には、思考を促す効果があります。
なぜこのような行動をとったのか、
どうしてあんなセリフを言ったのか、
余白部分に思いを馳せさせることによって、考えを止めさせないことによって、プレイヤー自らが物語に奥行きを作ることになるのです。
そうすると、一度のプレイでも心に残り続けます。
そこに介入の余地があるから、どうしても記憶に残ってしまうのです。
思考をやめてしまうと、人は誰かを悪者にしたがる傾向にあります。
それはとあるキャラだったり製作者だったり…。
しかし、今作の工夫されたストーリー設計を見るに、それさえも思惑通りなのでしょう。
むしろ、その「思考の行き止まり」にハマってしまった人がうらやましいくらいですね。新たに感情の閾値を広げられるのですから。
お気に入りポイント
エリーのサイコキラー度
前作から5年ほど経った今作。
もちろん、エリーは成長しています。見た目も能力も。
エリーは、銃弾を何発か食らっても死にません。
怯むことなく恐れることもなく敵に立ち向かっていきます。
スニークキルするときの表情を見たまえ。
実に素晴らしい。
敵にとっては悪魔にしか見えないでしょう。
躊躇なく人を殺していく様がいいですよね。歴戦の傭兵みたいで。
こんな世界で生き抜いてきた苦労・意志の強さをひしひしと感じて、なんだか感慨深くなりました。(あれから7年か…)
もう一人の操作キャラ:アビー
最初はただのチュートリアルキャラかと思っていましたが、見事裏切られましたね笑。
いやあ、おかしいと思ったんですよ。
「感染者を素手で殴り殺すか?普通」
正直、笑いました。
初見で思ったんですよ。
「腕太すぎだろ!」
「腕太すぎだろ!!」
こんなキャラ絶対に出ないでしょう。日本のゲームじゃ。
生命力にあふれた良いキャラだと思います。
ラストのほうの「お姉さん感」も悪くないですしね。
あと、敵と探索のバランス的にアビー操作のほうが面白く感じました。
武器の改造モーション
手慣れた素早い動作で武器をカスタマイズするモーションが非常にかっこいいです。
今作の見どころの一つ。
動きもそうですが、音も心地良くかっこいい。
改造シーンだけでもgif動画で繰り返し見続けたくなるくらいでした。
音といえば、今作は「足音」へのこだわりも半端ないです。
歩いている場所や距離によって、細かく足音の種類や大きさが変化します。
プレイ時はヘッドホンでやるのがいいかもしれません。
(感染者の唸り声がはっきり聞こえますし…)
逃げるシーンのスリル
今作は逃げるシーンがいくつかありますが、どれもスリル満点で最高に面白かったです。
某ホラーゲームでの追跡者が拍子抜けすぎたので、なおさら面白く感じました。
「走って逃げるってのはこういうことを言うんだよ!!」
(今作の前にやってたTPSゲームがバイオre3だったため必然的に比較対象に…)
個人的には、ホラーに欠かせない要素のトップ3に入るほど重要なポイントだと思っています。
逃げるスリルの面白さはそれくらい大事。
ここがうまく表現されているかどうかで、製作者のホラーに対する認識レベルが分かってしまうくらいです。
逃げるスリルを蔑ろにしているホラーは、ホラーを理解できていないのと同義と思っています。
全力で体を動かして、走って逃げて、息も絶え絶えになりながら、脳みそも駆使して生き抜いてこそ、生きていることのありがたみを知るのです。
そう、恐怖とは乗り越えるためにあるのだ!(ドンッ!)
まあもちろん、ホラーの種類にもよりますがそれはまた別の話。
(ダイイングライトでボラタイルと戯れるのが好きだった方は分かると思います)
気になった点
まぎれもない傑作ですが、気になる点がいくつかありました。まあ、これは仕方ないでしょう。どんな人間にとっても、どんな角度から見ても、100点満点の作品は存在しませんからね。
目が疲れる
これは最後のほうまで気になりました。
このゲーム、酔いはしないけれど異様に目が疲れます。
目というか、眼球が痛む感じ。
うーん、見るところが多すぎるからでしょうか。
画面の情報量が多すぎるからかもしれません。
慣れるまで時間がかかりました。
探索が冗長的
バトル時間よりも探索時間が長くなりがちなのが気になりました。
物資を集めるためとはいえ、ちょっと頻度が多すぎたように思います。
(目が疲れる原因にもなったし)
入れる建物が多いのはいいのですが、ただただ物資が置かれてるだけの役割でしかなかったのは残念です。
拾う以外の物資調達方法があればなあ…。
でも、他のキャラとの会話で
「次のところ行こう」
「物資集めてからにさせて」
と何度かあったので、一応はそれが分かったうえでカバーされてたのかな。
感染者がおまけ
感染者がほぼおまけと化していたのが物足りませんでした。
新種が何種か出たのはうれしいですが、やはり、人との戦いの多さに比べると割合が少なかった気がします。
もっと乱戦になる部分が多くてもよかったかな。
もしくは、感染者の必然性を上げてほしかった。
まあ、これは宿命でしょう。
しゃべらない敵をメインにはおけませんからね。ストーリー的に。
ストーリーが少し長い
丁寧な人物描写と重厚なストーリー展開は満足ですが、ちょっと長かった気がします。
後半に入ると、「えっ、まだ終わらないの?」「まだ続くのか…」という気持ちになってしまいました。
サバイバルホラーは15時間前後という認識が強かったからかもしれません。
もしくは、プレイしている時間が濃厚すぎて疲れていたからかもしれません。
(バイオの2キャラ分を一気にやるストーリーと考えれば、長すぎるということはないか…)
とはいえ、2度と味わえない感覚を味わえたのは、この長さのおかげでしょう。
クリアした今では、すべてを把握したうえで2周目をやってみたらどう見え方が変わるのか、楽しみになってます。
まとめ:これらがラスアス2が傑作たる所以
以上が、私が思う『The Last of Us Part II(ラストオブアス2)』が傑作である理由です。
クリア後に知ったのですが、いろいろと問題になってるみたいですね、主にストーリーで。
ここはプレイした各人が自分なりに噛み砕くしかないでしょう。思考を諦めてはなりません。
序盤ですぐわかるこのゲームの方向性
今作では、主要キャラの一人が序盤で死んでしまいます。それも無残に。
この時点で確実にふるい落としが始まっていました。
いや、前作でふるい落とせなかったプレイヤーをここでふるい落とす必要があったのです。
というか、もはや、ジャケットのエリーの表情からすでに察しがつきます。
このゲームがどこにたどり着こうとしているのかは。
そこを見極められなければ、正当な評価をすることは難しいでしょう。
まあ、心を搔き乱されたのなら、それはそれで本懐だと言えます。製作者もプレイヤーも。
それほどに刺激的で衝撃的なストーリーを提供してくれます。
『サイコブレイク』のレビューでも書きましたが、
ホラーゲームを辛い食べ物に、ホラーというジャンルを激辛料理店に例えてみましょう。
辛い食べ物を食べ慣れていない人間が、このゲームに文句を言うのはお門違いなことが分かるはずです。
辛い食べ物を売りにしているお店で、辛いことに不満を露わに不平をぶちまける客に対して、他の客も店員もどう思うでしょうか?
周りをよく見てみましょう。
「あなたは今激辛料理店にいるんだよ?」
「自らこのお店に入ってきたんだよ?」
「別に誰も強制していませんよ?」
サバイバルホラーTPSが好きならやるべき
このゲームを評価するには想像力が必要です。
これまでどれだけの物語に触れてきたか、
それが問われるストーリーになっています。
こんなゲーム今後はもう絶対に現れません。
ストーリーも、アクションも、グラフィックも、人物描写も、音楽も、すべてが高水準、トップクラス。
にもかかわらず、いや、だからこそかな、評価が下がってしまうゲームなんて。
まさに「私たちにとって最後のゲーム」ではないでしょうか。
前作のラストを受け入れられたのなら、やる価値は大いにあります。
(前作をやっていない方は必ずそちらを先にプレイしましょう)
サバイバルホラーTPSが好きならぜひプレイすべきです。
ホラーというジャンルが大好きだと、辛い物が大好きだと、自負している方には特におすすめ。
味(辛さ)のクオリティは保証します。
以上、『The Last of Us Part II』のネタバレなしのレビューでした。
考察というか個人的解釈および感想(以下、ネタバレあり)
以下からはネタバレありでレビューしていきます。
考察というよりは個人的解釈を多く垂れ流しますので、必ずゲームを一通りプレイしてから読んでくださいね。
そうでないと、いろいろともったいないかもです。
なぜエリーはアビーを殺さなかったのか
ここに今作の本質がある気がします。
ここをどう考えるかによってこの物語の余白部分の埋められ方は大きく変わるでしょう。
考えられる理由をまとめてみました。
(超ひねくれた解釈もあるので要注意です笑)
1.そもそも復讐なんてどうでもよかった
これは思春期の女性にありがちな思考形態です。
あのような過酷な状況を生き抜いてきたエリーとはいえ、やはり年頃の女の子。作中でも恋愛描写はこれでもかと登場します。
あの世界でも人は人であることを諦めきれません。
だから、たとえ産まれてくる子供が感染者になったり感染者に殺されたりするリスクがあっても、産まざるを得ないのです。
人類がこれから先どうなるかわからない、明るい未来など到底想像することさえできなかったとしても、それでも、性欲というものは常に付き纏います。
なぜなら、それが人である証明であり存在意義だから。
人類の存続やコミュニティ維持のために、彼らが子供を産んでいるとは思えません。
あの世界で効率よく人手を確保したいなら、人を産んで戦力を供給したいなら、同性愛など認められることはまずあり得ないからです。
ましてや、妊婦を戦わせようなどとはするはずがないでしょう。
あの狭いコミュニティの中ではなおさら、細かい規則や決まり事がたくさんあっただろうことは想像に難くありません。
でなければ、人がある程度多くいる中で円滑に生活していくことは無理ですから。
にもかかわらず、同性愛や妊婦が戦うことを良しとしていたのは、各人の意思を尊重していたのか、そんな事態は想定していなかったのか、はたまた、単に何も考えていなかったのか。
いずれにせよ、考えられるのは、彼らは過酷な状況にありながらもけっこう自由に生きていたのではないか、ということです。
ディーナに子供が生まれた後、コミュニティから離れエリーと3人暮らししていたことからもそれは窺い知れます。
トミーが気軽に訪ねて来ていたようですし、こっそり隠れて住んでいた訳でも、ジャクソンから逃げ出した訳でも、ジャクソンから追放された訳でもないのでしょう。
赤ちゃんをあやすエリーは実に楽しそうでした。
ディーナにキスするエリーは実に幸せそうでした。
この時点におけるエリーの優先順位は、ディーナと子供と3人で暮らすこと>>>>復讐
となっていたのは間違いありません。
「ジョエルを殺しやがって!あの筋肉女め!絶対に復讐してやる!」という復讐心は、瞬間最大風速的に上昇した怒りの高まりにすぎず、自分の気持ちに折り合いをつけるために突発的に行動を始めたのです。
衝動的に無計画に始めた行為は長続きしません。優先順位が下がれば、必然性を感じなければ、すぐに投げ出してしまうの関の山。
エリーの復讐は、「ジョエルが殺されたのに何もしない自分」が許せなかったからで、ジョエルの無念を本気で感じ取ったからではありません。
思春期の乙女心は非常に移ろいやすいです。そして、感情的です。
ころころころころと変化し、昨日まで好きだった人間が今日は嫌いになり、今日は嫌いだった人間が明日には好きになっている、なんてのはよくあること。
エリーも例外ではありません。
思ったよりうまく行かなかったこと、予想よりひどい目にあったこと、あいつの仲間は十分に殺したこと、ディーナに子供が生まれたこと、によりエリーの復讐心はほぼなくなってしまいます。
唯一残っていた気がかりは、「ジョエルが殺される瞬間がトラウマになっていること」。
この原因は、ジョエルを殺した人間に対する憎しみから沸き起こるものではなく、そのような悲劇的な体験をした自分を憐れんでいるから。
本気でディーナと子供を大切に思うのなら、すべてを捨て去って、だれも知り合いのいないところで生きていくべきです。
すべてを忘れて、未来だけを見て生きていくべきなのです。
トミーがエリーにキレていたのは、こうしたエリーの中途半端な気持ちを感じ取ったからでしょう。
「どうせ気まぐれで復讐してやると言ったんだろ!ジョエルのことなんか本気で思っていないんだろ!」と。
実際、トミーがアビーの居場所を突き止めなければ、エリーの復讐劇はそこで終わっていたはずです。
トミーの強い言葉に急き立てられ(痛いところを突かれ)、半ば強引にエリーは復讐を再開します。
「アビーを殺せば、ジョエルの夢を見なくなるかもしれない。今度こそディーナと子供と楽しく生きていけるかもしれない」
この時点でエリーは自分のことしか考えていません。本気で復讐を成し遂げたい訳ではありません。
「復讐して自分の気持ちが晴れやかになったらいいな」くらいに考えています。
これが多くの若い女性の普通の考え方。別に誰かに責められるものではないでしょう(ジョエルの兄弟であるトミーを除けば)。
ディーナもそう。
ディーナがエリーの復讐を手伝うと言ったのは、好きなエリーの好きなジョエルが殺されて、エリーがかわいそうに思ったから。
ディーナは妊娠が分かった時点で優先度は、子供>エリー>>>>>>復讐の手伝い
となり、子供が生まれてからは、子供>エリー>>>>>>その他
となって子供とエリー以外のことは優先順位にさえ入っていなかったはずです。
そして、ラストバトル。(品性の欠片もない醜い戦いでしたね)
そう、最後にアビーを見逃したのは、別にここでアビーを殺しても気分は晴れないな、気づいたからです。
いや、本当はとっくに気づいていたはず。
アビーを殺すかどうか迷っていた節がたくさん見受けられましたし。
さっさと殺して復讐を遂げたいのなら、アビーが吊るされて動けない状態のまま、殺せばよかったのですから。
腹に枝が刺さり今にも出血死しそうな状態で、わざわざ正々堂々とした殴り合い(エリーはナイフ使ってたけど)を申し込むでしょうか。
ここでも、復讐はエリーの気晴らしに過ぎなかったことが分かります。
動けないアビーを殺す自分が嫌だったからです。だから、とりあえず解放したのです。
おそらく最後の最後まで悩み、やっぱり殺しておこうかなと思い至ったのでしょう。
エリーがアビーを殺さなかったのは、復讐を成し遂げたい訳ではなかったから。
自分の本当の気持ち(ジョエルが殺されたのに復讐しない自分を肯定すること)を誤魔化すのに疲れたから。
そして、ジョエルに対する思いの優先順位がそんなに高くないことを自分の中でハッキリと認めたから。
最後にジョエルの顔を想起したのは、そういう理由です。
逆に、前を向いて生きるためにジョエルを諦めたのかもしれません。
このエリーは今後、ジョエルが殺される瞬間に悩まされることはないでしょう。
自分の人生(復讐しなかった自分)を肯定することができたのですから。
2.アビーとレブにかつてのジョエルと自分の姿を重ねたから
これは最もポピュラーな解釈ですね。
ありきたりなので深くは言及しませんが、これが一番納得いくのならこの解釈を信じるのが精神にとっては一番楽でしょう。
しかし、この解釈には矛盾があります。
なぜなら、エリーは、アビーとレブの物語を全く知りません。
どんな過酷な状況を2人で生き抜いてきたのかを全く知りません。
レブを見たのは、劇場に来た時と吊るされている時だけ。
アビーが大事そうに抱えて小舟まで運んでいるのを見れば、どれだけ大事に思っているかは一目瞭然でしょうが、復讐を成すのにそんなことは関係あるでしょうか。
むしろ、復讐の邪魔をした奴という認識しかないと思います。
レブがいなければ間違いなくエリーは復讐できていたでしょうから。
そんな何も思い入れのない背景を何も知らない人物に対して情けを感じるでしょうか。
ましてや、自分と重ね合わせるなんてことをするでしょうか。しかも、あの土壇場で。
確かに、レブが止めなければ、ディーナはアビーに首を掻き切られていたでしょう。
そこに恩を感じて(アビーを殺すとレブが悲しむから)やめた?
もしくは、アビーが死ぬとレブも衰弱死するから?
いや、それこそありえないですね。
エリーはレブに何の思い入れもありません。
ただ子供と大人という関係だけで、自分とジョエルに重ね合わせるなんてことはするはずがないのです。
(もしアビーの容姿を男らしくしたのに、ジョエルと重ね合わせやすくするため、なんて理由があったら笑えます)
これまで一体どれだけの人間を殺してきた?
憎いとも嫌いだとも思っていない、邪魔に感じただけの人間を何人殺してきた?
やはり矛盾しています。
なぜこの時になって(アビーが死ぬ直前になって)、急に感傷に浸るのでしょうか?急にキレイごとを訴えるのでしょうか?
この解釈は、当たり障りがなくて心地良いかもしれないですが、個人的には全くもって釈然としません。
3.エリーがアビーを好きになってしまったから
はあ!?と思われるかもしれないこの解釈。
個人的には案外悪くないなと思っています笑。
エリーが同性にもモテるのは分かるんですよ。
男らしくサバサバしてて、サバイバル能力もあるし、ふと見せる弱さ的なものがあるし。
そこに惹かれる人間がいてもおかしくありません。恋愛事情には疎そうだし、ディーナ(女性)が好きになるのも頷けます。
(エリーが男を知る前にディーナは先手を打ったのでしょう)
では、エリーが好きになる人物はどんな人間でしょうか。
これを考えたときに思い浮かぶのは、やはり「自分より強くてたくましい人間」です。
(ヒーローカードを集めていたり、恐竜のような大きなものが好きだったりすることからも想像できます)
自分に気がある(エリーは気づいていないけど)ジェシーを全く意に介していなかったのは、自分と同等かそれ以下と思っていたから。
かと言って、ジョエルが恋愛対象になるはずがないし、少なくともジャクソンにはエリーのお眼鏡に適う相手がいなかったのは間違いありません。
エリーがディーナを受け入れたのは、現状で最高な人物だったから。
エリーとディーナの2人行動になったとき、「どうせ足手まといになるんだろうな」と考えていたら、予想外にディーナは戦闘能力が高く、(ゲーム的に)助けられたことが多々ありました。
もし、妊娠していなければ、楽々と2人でアビーを追い詰めていたでしょう。
エリーはディーナの強さに惹かれていたのです。
ところが、妊娠が発覚し、「一人の女になっていく」ディーナをエリーは諦めるしかありません。
2人で復讐するはずが突如1人になった時、エリーはどんな気持ちだったでしょうか。
大切には思っているけれど、「自分より強くてたくましい人間」ではないことに気づいたはずです。
その喪失感を復讐心で覆い隠し、エリーはアビーを追い求め奔走します。
結果、死んでもおかしくないレベルにボコボコにされ、ディーナも半殺しにされることに。
ここでエリーは、アビーにとてつもない恐怖を感じたでしょう。
銃も爆弾も使って戦っていたのに、素手で立ち向かってくるアビーに返り討ちにされてしまうとは思いもしないですからね。
その上アビーは、ディーナが妊娠していると知って、大勢の仲間(妊婦含む)を殺したエリーを殺すのを止めて、立ち去っていきます。
(確かに、ジェシーは殺されましたが、エリーが殺した仲間の数に比べれば全然少ないです。
というか、ジャクソン側の人間はアビーによる不利益をほとんど被っていません。)
その背中のなんと男らしいことか。
恐怖心を感じるとともに、まさしく「自分より強くてたくましい人間」だと思ったのは疑いようがありません。
まあ当然エリーはそんなことに気づいてないですが。この時点では。
エリーの復讐心が実は恋愛感情であることに気づいたのは最後の最後。
トミーにアビーの居場所を聞いてからのエリーはそれ以前とは明らかに違っていました。
「アビー、アビー、アビー」と連呼しながらアビーを探し求める姿は、復讐に心を燃やすというより、「もう一度ボコボコにされたい」という歪んだ情念を感じるほど。
もしかすると、アビーになら殺されてもいい、と考えていたのではないでしょうか。
柱に張り付けられ餓死寸前のアビーを解放するエリー。
ここもおかしいんですよ。
復讐が目的なら、アビーを見つけた瞬間殺すはずですし。でなくとも、レブを運ぶアビーを後ろからナイフで刺せば終わりですし。
血が流れまくって死にそうならさっさと終わらせたほうがいいのに、わざわざ縄を切って、戦いやすそうな浜まで行って、レブを人質にとることで立ち去ろうとするアビーと正面から無理やり戦おうとしますし。
醜い殴り合いの末、アビーを海に押し倒し、窒息死(溺死)させようとします。
この時、エリーはジョエルとの会話をフラッシュバック的に思い出しますが、
その中でジョエルが「お前が好きになる人間は幸せ者だな」みたいなセリフを言っていました。
餓死寸前で痩せこけ生きているのが不思議なくらいの状態なのに、エリーも怪我をしているとはいえ、対等に渡り合ってくるなんてすごすぎるとしか言いようがありません。
しかも、エリーは最初ナイフを使っていて、明らかに優位だったのにも関わらずです。
この強さは、「自分より強くてたくましい人間」だと認めざるを得ません。
エリーがアビーへの感情に気づいたのはこの瞬間。
ジョエルの言葉で気づいてしまったのです。
「ああ、こいつのこと好きだったんだ」と。
このままアビーを殺してしまったら、自分が好きになった人間がいなくなります。
エリーは、アビーを「幸せ者」のまま終わらせたかったのでしょう。
だから、エリーはアビーを殺さなかったのです。
アビーに食い千切られた指を見るたびに、エリーはアビーのことを思い出します。
こうしてエリーは、「自分より強くてたくましい人間」としてアビーを好きであり続けることができるのです。失った指と共に生き続けることができるのです。
既存の恋愛に当てはめなければ(そもそもエリーは普通の恋愛を知らないし、その感情がどういうものなのかも分からない)、こうした解釈もなくはないでしょう。
本作全体を通して恋愛描写に力を入れているのも、この解釈に信憑性を持たせる要因になっていると思います。
ラスアス2は復讐劇などではなく、上級者向けのハイレベル(マニアック)な恋愛ゲーム(ラブコメ)だったのです。
4.ようやくジョエルを許すことができたから
これは最も適切に思える解釈ですね。
アビーを殺す寸前でようやく、ジョエルが前作で選択した行為を認め受け入れ許すことができた。
そして、あの時死ななかった自分を肯定できた。
ゆえに、アビーを殺す理由がなくなった。
失った2本の指と空き家に置かれたギターは、ジョエル(過去)との完璧な決別を表しているのだと思います。
ジョエルによって生かされていた命が、アビーを殺さないという選択をすることで、やっと自分だけの自分のための命を獲得できた。
エリーは、良くも悪くもジョエルという柵(しがらみ)から解放されて大人になれたのです。
ただ、個人的に考えているのは、最後の最後に許せた、というよりはすでに、
ジョエルの復讐を始める=ジョエルを許している
ではないかということ。
それに気づかず凄惨な復讐の旅を続けてしまうあたりが、実にエリーらしいなと思いましたね。
結果的にアビーを助けることになってしまったのも、エリーだからこそ、でしょう。
出会う場所や時代が違っていれば、エリーとアビーは気の合う友人同士になっていたんじゃないかなあ。
まあ、この解釈は適切に思えても、捻りがないのでシンプルすぎてイマイチ面白くないですね。
5.
6.
ここまでふざけた個人的解釈をいくつか挙げてみましたが、人それぞれ考え方や感じ方は異なるだろうと思います。
だからいいのです。
決定的に文章で解説しないからこその余白。考える余地があるからこそ、奥行きができる。
プレイした各々の各々だけストーリーが構築される。
考えるのをやめれば、詳しく提示されない物語に対して不満を抱いてしまうかもしれませんが、考え続けることで、すべてが提示されてしまう物語よりも圧倒的な質量を感じ取ることができるのです。
唯一の失敗は、製作者がプレイヤーを買いかぶり過ぎていたことでしょう。
個人的には、なぜあれほどまでに前作のストーリーが絶賛されていたのかが、そもそも分かりません。(いや、もちろん気に入っていますが)
どう考えても大衆に受け入れられるような話ではなかっただろ?と思うのです。
クリア後にかなり衝撃を受けたのを覚えています。
「これゲームでやっちゃダメなストーリーでしょ。映画とかドラマでなら許されるかもしれないけど、ゲームを好むような層にこんなの受け入れられるの?」と。
「だって、ゲームとしてはただ陰鬱で全然面白くないし、何のためにアメリカ横断してきたんだよ。もっとドンパチやりあうべきなんじゃないの。結局、人間が敵になるのかよ」と。
「もっと話し合おうよ、人間なんだからさ。言葉足らずの怪物どもかよ、こいつら。他の方法模索しろよ、人間らしくさ」。
ただただ衝撃を受けさせるために無理やりそうしたストーリーにしたとしか思えないご都合主義展開に、若干引いてしまいました。それが7年前のこと。
当時私は思っていました。
「本当にそんなに面白いと思えましたか?」と。
「味わったことのないインパクトに頭が壊されてしまったんじゃないか?目を覚ませよ」と。
ホラーゲームの中でもさらに異質なこの作品(前作)が、世界中で受け入れられていることに違和感しかなかったのです。
このおかげで製作者も勘違いしたのでしょう。プレイヤーが求めているものを。
そうして、今作が発売されるわけですが、私は十二分に覚悟していました。
あのストーリーを作ってくる会社だぞ。またとんでもない話をねじ込んでくるぞ、と。
結果、思ったよりもマイルドなストーリーになっていて安心しました。
大学生時代であればもっとすごい衝撃を受けたでしょう。
「辛い食べ物」をそんなに食べ慣れていませんでしたし。
残念ながら、今となってはそこまでのインパクトを感じることはできませんでした。
個人的にはもっと悲惨なストーリーを予想していましたから。
私が思っていた物語よりはるかにマシだったので、むしろホッとしました。
ところが、今度は世間一般の評価が真逆で驚きましたね。
「前作を評価できていた人間なら、今作も同様に評価できるでしょ」と思うんですけどね。
前作のプレイヤーの評価ではないのかな、それとも、時間の経過で悲惨な話を受け入れられなくなったのかな。
まあでも、こんなストーリーなのに、「面白い!楽しい!最高!」なんて評価で溢れていたらそれはそれで怖すぎるので、今作に関しては、今の評価が世間一般的には妥当なものかなと思います。
確かなのは、製作者はすべてを分かったうえで、このストーリーにしていること。
気持ち悪くなって、気分が悪くなって、目を覆いたくなって、胸糞悪くて、トラウマになりそう、涙さえ出そうになる…
いかにもホラーではないか。
これこそ、ホラー作品ではないか。
ホラーの仕事を実に完璧に遂行したゲームなのは、誰が何と言おうと間違いありません。
普通にずっとエリー視点で復讐を成し遂げていたら凡作でした。
アビー視点の物語があり、最後にアビーを殺さないからこそ、傑作になっているのです。
残念なのは、こういった型破りなゲームはもう二度と発売されないだろうこと。
インディーではなく大手の会社がやったから意味があったのですが、他の会社は今作を反面教師にして、マイルドな作品しか出さなくなるでしょうね。
「だって、かけた労力と見合わねえし!」
ワクチンができていたとしても何か変わったのか
以下、暇があれば追記
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